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2018年1月の法話

先手、先手のお手廻し

椿教信 本願寺派布教使 粕屋組 真覚寺

とんちで有名な一休さんが、有難い言葉を書いてほしいと頼まれて「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」と書かれたそうです。しかし頼んだ人は「死ぬ、死ぬ、死ぬ」のどこが有難いのかとご立腹。一休さんは、この順番が逆になったら耐えられないほど辛く苦しいことを諭されたという有名なお話がございます。(この話は博多の仙涯さんという説もあります)

生まれてきたからには必ず死を迎えなければならないお互いです。ならば歳の順になれば良いのでしょうが、私も住職になり三十年、度々この順番が逆になる葬儀に出会う事がございます。

ある寺院のご子息が突然ご往生されました。葬儀の時、お父上であるご住職が「この度は大変厳しいご催促を頂きました」とご挨拶されたことが深く心に残っています。

そのご住職は本願寺派布教使として全国を回り、お取り次ぎのご法話をされているお方でした。しかし、「我が子を失うこの逆縁によって改めて生命の尊さ・儚さに気付く中、もがき苦しむ私たちを見捨てることなくお救い下さる阿弥陀様のお慈悲を噛みしめております。この様な厳しいご催促を頂かなければ骨身に沁みて分からない私でございました」と話されたのです。

「催促」とは急かすこと、早くするように促すことです。それは正に阿弥陀様から私へのご催促です。では、何を催促されているのでしょうか?

私達はすでに阿弥陀様の大いなるお慈悲の腕の中です。

しかし阿弥陀様に抱かれているといっても、苦しみ・悲しみの無い思い通りの人生になるわけではありません。四苦八苦の人生に於て、必ず救うという阿弥陀様の先手、先手のお手廻しに出遇う中、救われる安心の中に現実を受け止め、歩み進めることができるのです。
その「気付き」こそが「ご催促」なのでしょう。

「何故こんな事に」「どうして私ばかり」と嘆くだけの私に、阿弥陀様はすでに寄り添って下さっていたのです。 「早く気づけよ、早く、早く」との阿弥陀様のご催促が今、此処にも おはたらきです。

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