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2015年7月の法話

いのちを見つめる

中川一晃 本願寺派布教使 御笠組 願應寺

息子の通っている保育園の運動会ではカメラやビデオの撮影を禁止しています。園長さんに理由を聞くと 「それを持って来ると自分の子どもしか見ないでしょ。みんなを見て欲しい。」とおっしゃいました。なるほど、と私は思いました。我が子可愛さで撮影していると、常に息子を中心にした狭い枠の世界でしかありません。周りが見えないのです。

運動会の当日、ビデオカメラは持っていないのですが、やはり息子を中心に見ている私がそこにいました。頑張っているのは皆同じ。みんなを見て欲しいという言葉は頭にはあっても、そう出来ない自分に執着の深さを感じました。

しかし、だからこそ自己を省みて息子だけを見るのではなく、みんなを見ていこうとも思いました。そんな気持ちで見ると、また違う景色がそこにはありました。全ては園長さんの一言がきっかけです。その言葉がなければ息子しか見ない運動会でした。そのことに何の疑問も感じませんし、ましてや自己の執着の深さにも気付けなかったと思います。

考えてみると何も運動会だけではなく、私の日常もビデオを撮り続けているようなものです。自分にとって都合のいいところにピントを合わせ、他のことはなかなか見ようとしない。そうやってお互いが自分の都合で世の中を見ていくとどうなるでしょうか?私さえよければ、私の家族さえ良ければ、私の地域さえ、国さえよければと、私を中心に狭い範囲しか見ない生き方は互いを傷つけます。その最たる例が戦争です。自国を守るためなどとお互いが正義を掲げていますが、やっていることは命の奪い合いです。正義を掲げているから命を奪っても悪いことだと自覚出来ない、まさに地獄の世界です。

今年の8月は戦後70年の節目の年です。過去の過ちを深く見つめ、今、そしてこれからどんな選択をしていくのか真剣に考えなければなりません。もう二度と地獄にしてはいけないのです。

浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、教えをいただくと自己の生き方 (自身で都合のいいように社会を見て、正義を主張し悪を悪とも気付かない生き方)に気付かされ反省し、お互いに心を思い合わせるような生き方に変わっていく、と仰っています。これからの時代を生きていく中で、自分の生き方や社会の見方を常に省みていかないとまた大変な時代がやってくるように思います。だからこそ教えを聞き尋ねていきたいものです。

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