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2015年10月11月の法話

阿弥陀様が、ご一緒のお浄土参り

阿部隆慈 本願寺派布教使 東筑組 淨圓寺

今年のお盆のことです。小学校一年生の娘と話をしているとふとこんなことを尋ねてまいりました。

「お父ちゃん、どうしてお浄土にいかないといけないの?」

突然の問いかけにびっくりしたのと同時に何と答えればよいのか即答が出来ませんでした。この問いには、前住職と娘との会話がいきさつに有ったようです。

「ばぁばぁ(前住職)は、いつお浄土にいくの?」

「ばぁばぁは、そろそろお浄土にいくの?」

「めぐちゃん(娘)もお浄土にいくの?」

というような会話をしていた様です。そのような問いかけをしてくる娘に前住職は、

「いつだろうね!めぐちゃんより先にばぁばぁが先にいくんだよ。」

というような受け答えをしていたようです。

時には、「ばぁばぁ、一緒にいこうよ!」などと言われたそうです。

そして、先日、晩御飯を食べている時に、

「この前、父ちゃんにどうしてお浄土にいかないといけないの?ってきいたよね! めぐちゃんは、なんでだとおもう?」

「父ちゃんもよくわからないけど、めぐちゃんが、お浄土にいかなかったら困る方、 悲しまれる方がいるらしいよ。どなただと思う?」

「めぐちゃんがお浄土にいかなかったら、
あみださまが困るんだって!
あみださまが悲しまれるんだって!
あみださまはね。
めぐちゃんのことが大好きなんだって。
めぐちゃんとずーっと一緒に居てくれるんだよ。
あみださまが、めぐちゃんと一緒にお浄土にいってくれるんだよ。
あみださまが、父ちゃんも母ちゃんもばぁばぁもみんな一緒にお浄土にいってくれるんだよ。」

私たちの上にお浄土に行かないといけない理由はないようです。

阿弥陀様が、私を浄土に生まれさせると今、ここに、私の命と共に歩んでくださいます。

私の上から離れることのない阿弥陀様の御心を「なもあみだぶつ」と「連れてゆくぞの親の喚び声」とお聞かせに遇わせて頂きましょう。




生きる意味

井上正見 浄土真宗本願寺派布教使 嘉麻組 正恩寺

宗祖親鸞聖人に、「何のために、(人間に生まれ)生きられましたか」と真実の生きる意味をお尋ねしますと、次のようにお答えになるのではないでしょうか。

私は、お名号のみ教えを疑いなくお聞かせいただくため(信心をいただくため)に生きました。

お名号は、阿弥陀如来さまが、私を、命終と同時にお浄土の仏さまにするために、ご苦労してご成就くださった真実の功徳です。お名号には、阿弥陀如来さまのおさとりの内容がすべてそなわっています。

お名号のみ教えを疑いなくお聞かせいただく心を信心といいます。信心は真実心のことで、私は、本来、持ちません。作ることもできません。阿弥陀如来さまからいただきます。

宗祖は、信心をいただくと、私に二種の真実が恵まれる、と教えられました。

(一)私は、自分の力で、お浄土の仏さまになることはできない。

(二)阿弥陀如来さまは、私をお浄土の仏さまにしてくださる。

(一)について

私は煩悩を欠け目なく具えているので、過去、現在、未来にわたって、煩悩の世界を出ることはできません。煩悩は、迷いの心(私を苦しませる悪い心のはたらき)です。仏さまは煩悩を滅ぼされた尊い方ですが、私は煩悩の固まりです。私が煩悩でつかんだ生きる意味は、必ずこわれてしまう偽物ばかりです。子どもの成長に生きる意味を見出していた両親は、子どもを交通事故で亡くして、悲しみの涙がとまらない、等のことです。

阿弥陀如来さまは、煩悩を具えた人間は、このように愚痴や涙やため息の空しい(むだ)と味わう人生を、果てしなく生きねばならないとお知らせくださるのです。

(二)について

阿弥陀如来さまは、迷いの世界を出ることができない私を、間違いなくお浄土の仏さまにしてくださるとお知らせくださるのです。

以上のように味わわせていただくと、前に述べました宗祖の真実の生きる意味は、「永い迷いのいのちと別れて、命終と同時にお浄土の仏さまに成らせていただくために生きました」と言い換えることができます。

私は、信心の世界を深く味わわせていただく程、自分のいのちの尊さに気づかされ、お育てくださった阿弥陀如来さまにお礼を申さずにいられません。

【お詫びのこと】

先月の法話が未掲載のままでしたので、今月は2か月分の法話を掲載いたします。
ご清覧いただいております皆様方には大変ご迷惑をおかけいたしました。
今後、このようなことが無いよう、細心の注意をはらい確認してまいります。
この度は、大変ご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫び申しあげます。
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