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2016年1月の法話

数え年と「いのち」

水上覚也 本願寺派布教使 遠賀組 覚正寺

皆さま、大晦日・元旦と正月を楽しく迎えたこととお伺いいたします。例年のように
  あけまして おめでとうございます
と友だちに新年のあいさつをしながら…。

この新年のあいさつの意味も、明治維新という歴史のなかで改暦が行われました。1872年・明治5年12月3日をもって1873年・明治6年1月1日とした外国の太陽暦(新暦)を採用して、元旦の意味が少しずつ忘れられながら変わってきたようです。

現在の日本人の元旦観は2015年から2016年に移るにすぎません。外国人の新しい年の迎えかたが「ハッピーニューイヤー」と同じようになったようです。

現在の私たちの年齢は満年齢で記入します。満年齢とは生まれてから一日・二日・三日…と今日まで数え、誕生日がくるたびに一つ加える数え方を言います。

もうほとんど使わなくなりましたが明治以前は数え年で歳を数えていました。

数え年は、お母さんの胎から生まれてオギャーと産声をあげたとき一歳と数え、そしてその年を一歳、翌年を二歳というように数える年齢をいいます。一年の終り、大晦日の夜、除夜の鐘を百八つき終った瞬間の正月元旦の朝・0時0分0秒1秒2秒3秒…一年の最初の日を元旦といいます。その時二歳際になります。だから元旦は誕生日なのです。

元旦はお父さん・お母さん・お兄ちゃん・お姉ちゃん・おじいちゃん・おばあちゃん・ぼくの誕生日、家族全員の誕生日、国民すべての人の誕生日ということです。だから家族全員が故郷に帰って、新年の挨拶をします。その「おめでとう」は「お芽出とう」の意味です。新しい芽・つまり、一つとりました。家族そろってお祝いしたのです。年長者から人生相談のうえからの「お年玉」新年の魂=たましいを賜りものとして、これからの一年を大切に生きてゆくのです。

満年齢はお母さんの中の「いのち」は教えられません。数えようがありません。数え年はたんに歳が一つ多いいのではなく、人としての「いのち」を大切にしたのです。

私は学生時代・友人の子が流産したとき、お葬式をしました。友人の子が流産したとき、お位牌を書き、法名をつけ、名前書いて、亡くなった年月日を書き、そして近くの老院家さんに習って享年を当歳と書きました。あなたはお母さんさんの胎のなかいえども、人間としての生を受けました。当たりました。ここ、南無阿弥陀仏さまの満ちているところにです。よかったですね。と・・・
  人身受け難し、今すでに受く
  仏法聞き難し、今すでに聞く

称名裡

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