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2016年3月の法話

やってみなはれ

井土文雄 本願寺派布教使 飯塚市 傳教寺

人が生きるということは、年老いてゆくことであり、病気をすることであり、死ぬことです。これは並大抵のことではありません。

まだ死んでいませんので、現在は老いと病いの中に生きています。いやですね。

新年を迎えると、このいやなことを避けようとあちこちの寺や神社に「無病息災」等のお願いに詣でます。「不老不死」の看板はないようです。それは叶わないと皆が知っているからです。

また、温泉に行くと美人の湯というのがあります。色白になる成分があるのでしょうね。

こういう看板を本気にしていますか。そうではないのではありませんか。

生活の場には、自分の願いに関わるいろんな言葉が飛び交い、言葉遊びをしているだけで真実性がありません。口に出る言葉も両舌・悪口・綺語のように傷つけたり惑わすものが多いのです。軽い言葉や不実の言葉に囲まれて、生きる力になる言葉にはなかなか出会うことがありません。

でも時には人を支える言葉もあります。NHKの朝ドラマ「マッサン」が放映されました。新しい事業を計画する若い社員に対して、経営者の言葉「やってみなはれ。」なんと力強いことでしょう。責任は自分が取るから、思う存分やってみよというのです。

人生には山あり谷ありといいますが、実際は、山は少なく谷ばかりでしょう。

誰もが人生設計をしますでしょう。しかし、振り返ってみると計画通りになりましたか。

こんなはずじゃなかった、と悔やんで終わるならあまりにも空しいことです。

不安と後悔に沈むものの姿を見て、どうしても本当の安らぎと生きる喜びを与えようと願ったのが法蔵菩薩です。その願いを達成する為に途方もないご苦労の末、ついに救いを完成しました。阿弥陀仏という成仏の姿です。

浄土ができた、生まれさせる手立てが整った、仏の全ての徳を名に込めて届いてきます。

それが「南無阿弥陀仏」の名号です。その心は「わが名を称えよ、わが名を聞け、安心せよ、汝のことは全て解決した」ということです。

その救いの言葉を受け入れるとき、どのような人生を歩もうとも、浄土へ生まれてゆく道中の人なのです。「やってみなはれ」

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