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2016年6月の法話

学び

中島至 本願寺派布教使 怡土組 玉栄寺

「この金色の仏さまいくらすると?」

先日、こども会でこんな質問を受けました。びっくりして思わず、ずっこけてしまいました。経済中心の世の中になっているため、御本尊を指さして「いくら?」という質問がでたのでしょう。私はこう答えました。

「阿弥陀さまのことを無上尊って言うんだよ。この上もない尊いお方という意味で、尊いものは決してお金では買えないんだよ。ここにいるお友達は、お金では買えないでしょう。そのことが大人になっても分からなければ、いくら勉強ができて、いくらお金を稼いでも本当の幸せにはなれないよ。」

「じゃあ、なんで勉強するんですか?」

続けてドキっとする質問です。

「みんなは勉強して良い学校に行き、良い会社に入り良い収入を得るために勉強しているのかな。勉強はお金をもらうための手段なのかな?

じゃあ、ちょっと一緒に考えてみようか。

今みんなが使っているノートの紙は何からできているかな?

木だね。木が育つには太陽の光や、雨、大地など、自然の恵みが必要だね。

木を切って運ぶ人がいて、紙を作る人がいて、完成した紙でノートを作る人がいて…、このノートが出来上がるまでに自然や沢山の人が関わり、数えきれない“つながり”があることが分かるね。

学んでつながりを知ることから、世界が広がり、夢が生まれ、学ぶことの楽しさや生きる喜びが湧いてくるよ。」

とお話させて頂きました。

私たちは、勉強して知識を得ると自分が偉くなったような、何でも一人でできるような気にさえなってしまいます。そんな私を阿弥陀さまは常に、真実のはたらきに目覚めよ、と呼び続けてくださいます。阿弥陀さまのみ教えに出遇うと〝あたりまえ〟が〝おかげさま〟に転じられ、多くのつながりの中で、生かされているいのちであったと気付かされ、喜びと感謝の心が生まれます。

いのちのつながりが見えにくくなった現代社会だからこそ、阿弥陀さまのみ教えを通して、いのちを見つめる眼を育む学びをしていきたいものです。

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