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2017年1月の法話

「だからしょうがない」から「だからこそ」へと

吉弘了暁 本願寺派布教使 柳川組 長善寺

誰もが今を生きています。
様々な出来事に出会いながら生きています。
うれしいこと。楽しいこと。
つらいこと。悲しいこと。
苦しいこと。腹の立つこと。
いつまでも、あり続けてほしいことも。
できれば、消し去ってしまいたいことも

それぞれの出来事には、その事を生み出してきた背景があります。自ら選び取ってきた背景もあれば、否応なしに与えられてきた背景もあります。

今に立ち尽くすとき、人は時として「なぜこんな事に」とつぶやき、その背景の闇の深さに「だからしょうがない」と、自分の今をあきらめたりもします。
「あきらめないでください」

同朋運動(部落差別をはじめとして、あらゆる差別・被差別からの解放を願い進める、念仏の運動)に出会って、被差別の立場に立たされている人たちから、多くのことを教わり、学ぶことができてきました。

中でも「差別に負けない」という言葉は、大切なことです。

幾人もの「差別に負けない」生き方をつらぬいた人、つらぬいている人に出会ってきました。

忘れられない一言があります。

「あなたたちには、差別の中を、名乗って生きていることの苦しさ、つらさはわからないのですね」返す言葉がありませんでした。

差別の現実から、自分を隠そう、逃げようとする人の背負わされている毎日の苦しさ、つらさは思えても、差別に向き合い、解放を願っていきる人もまた、同じ苦しさ、つらさを背負って、なお自らを名乗って生きておられることに、思いがいたりませんでした。 同じような現実を背負いながら、あきらめて「しょうがない」と流されていく人があり、 「だからこそ」と自分の人生を尽くして生きる人もあります。

人は誰でも、たとえ気づかなくても、心の底では人生を尽くすことを願っています。 「だからしょうがない」から「だからこそ」へと私の今を転じ変えてくださる働きこそ、南無阿弥陀仏のお救いでした。

すでに救いの中に居る。「だからこそ」

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