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2017年10月の法話

「隠れ念仏」(浄土真宗禁制)の歴史

轟勇二 本願寺派布教使 福岡組 伝照寺

先日「隠れ念仏」の跡を訪ねて、鹿児島県に行ってきました。皆さんは「隠れ念仏」の歴史をご存知でしょうか。「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ念仏」の歴史が島津藩(鹿児島県)中心の地域にあります。記録によると、少なくとも1598年(慶長2年)から1876年(明治9年)までの約三百年に亘って、浄土真宗は島津藩で禁止されていました。理由は、為政者から平等の教えが危険視されたこと、お金が本願寺へ流出することなど様々あるようです。

その実態はとても厳しく、浄土真宗を信仰しているものがみつかると捕えられ拷問(逆吊り・割れ木責め・水責めなど)にかけられ、改宗の意思がないものは斬首・磔・火あぶりの極刑に処せられました。その拷問で膝の上に載せられたという大きな石が本願寺鹿児島別院の境内に「涙石」として今も残されています。特にひどかった天保の法難では、延べ十四万人の方が検挙されたといわれています。

そのような禁制の時代にあっても、夜な夜な山の中にある洞窟(洞穴のようなせまい空間)などに集まり、阿弥陀様をご安置してお勤めをして仏法を聞き、お念仏を申されていたのです。まさに命懸けで仏法をいただき法灯をつないでくださった方々の歴史があるのです。その洞窟や跡は、今も鹿児島県全域、宮崎県都城市・小林市、熊本県人吉市などに残っています。現在鹿児島県にある浄土真宗のお寺は、禁制が解禁された1876年以降に建立されました。お寺によっては、「隠れ念仏」の歴史を偲ぶことができるとても小さな阿弥陀様や、焼け焦げた阿弥陀さまなどが残されています。

「隠れ念仏」という悲しみの歴史を通して、親鸞聖人が承元の法難で流罪にされた後も、お念仏をあらゆる人々と共にいただかれていったことを偲ばせていただきました。

私の人生で本当に大事なことは何なのか。悲しみと絶望の中、人生の「宝」をお念仏としていただかれ法灯をつないでくださった方々に訪ねていきたいと思います。

最後に都城市田島かくれ念仏洞の碑文の歌を紹介します。

「念仏はいのちなり 念仏はまことなり 血吹き涙あふるる暗き世に わが無碍光は されど その力にては 消えざりき」

合  掌

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