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2019年4月の法話

自然法(じねんほう)爾(に) おのづから しからしむるなり

原田英道本願寺派布教使 志摩組 戒宝寺

親鸞聖人八十八才の御筆として、「自然法爾」意味は、おのづから しからしむるがあります。

何時だったか、どなたの言葉であったか、「世の中は思うようにはならないが、なるようにはなる」という言葉をお聞きした事があります。「しからしむる」という言葉は一見投げやりのような言葉ですが、当時の平均寿命三十五才の時代、お東の句仏上人が「勿体なや 祖師は紙子の九十年」で表されます人生を生き抜かれた、親鸞聖人のお味遇いの言葉であったように思えます。

最近は政府の「人生百年時代」とか、「健康寿命」という造語まで登場しています。

昨年七十五才で亡くなられた女優の樹木希林さんの生き様、死に様が話題となっています。彼女が晩年好んだ詩に曹洞宗の良寛さんの「裏も見せ 表も見せて散る紅葉」があります。

福井県の念佛医者と言われた米沢英雄師は「念佛は無料である。しかし、これを頂く為には高い代償を払わなければならない。それは人生の痛みや悲しみである」と申されました。

桐渓順忍和上の晩年のお説教の最後は何時も「あのなあ、年を取ると人様からだんだん嫌われる様になって来る。そうすればそうする程、阿弥陀様の事が懐かしく思われて来るよ。」だったそうです。

私も七十才でだんだん周りから疎まれるようになって来ましたし、お東のお寺出身の植木等さんが歌ったスーダラ節(修多羅・お経)、「わかっちゃいるけど止められない」私が居ます。

私が龍谷大学に通っていた頃、祖母が手紙の最後に何時も書いていたのが、京都女子大創始者の甲斐和里子さんの詩でした。その一つに「岩もあり木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水のながるる」があります。

一昨年往生された頼み寺の前住が「仏法は頭で聞くのではなく、身で持って聞くのである」という言葉を時々、心に描きながら加齢の日々を過ごしています。

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