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2020年4月の法話

人間とは

中島法昭 本願寺派布教使 粕屋組 藤圓寺

わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

ヴィクトール・E・フランクル『夜の霧』の一節である。アウシュヴィッツ強制収容所の生活を語っている。既にご存じのように、ナチス政権下、アウシュヴィッツ強制収容所で大量のユダヤ人が殺された。ユダヤ人を、まるで南京虫やシラミ同様に毒ガスで殺したのだ。人類最大の罪悪に他ならない。

その恐るべき残虐行為の実行責任者が、元ナチ親衛隊中佐のアドルフ・アイヒマンである。彼は、1960年にアルゼンチンで逮捕され、裁判が行なわれた。彼は繰りかえし、「ただ上司の命令に従ったまでに過ぎない。ユダヤ人の絶滅に協力したのだ」と主張する。つまり、アイヒマンは自分がした残虐な行為を全く自覚できない。命令に従ったまでといいきる彼の主張に唖然とする。

法廷で彼の話を傍聴していたハンナ・アレントは次のようなことを語っている。

彼に欠けているのは、「誰か他人の立場に立って考える能力」、つまり「想像力の完全な欠如」である。

さらに、アレントは、次のようなことも付け加えている。「およそアイヒマンと同様のタイプの人間はどこにでもいる」という。この一語を聞くにつけ、私自身がそうかと思えば背筋がぞっとする。

以上述べたことを踏まえて、はっきり言えることは、次のことである。およそ人間は「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべき」(『歎異抄』第13条、『浄土真宗聖典(註釈版第2版)』p.844)存在なのである。

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