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2020年9月の法話

彼岸・浄土について

水上覚也 本願寺派布教使 遠賀組 覺正寺

秋の彼岸の時節をむかえました。

彼岸は単純に仏教の行事と言い切ることはできませんが、実際に彼岸という言葉は「お悟りの世界」をあらわす言葉として使われていますから、「暑さ寒さも彼岸まで」のことわざが語られるように、日本の仏教各宗では春秋の良き気候と結びつけて、どちらかというと彼岸に至る仏道修行を目的とする行事が行なわれているようです。

浄土真宗のご門徒の方で、お彼岸とは七日の間に限ってご先祖のお墓参りをし、ご法話を聞くという門徒のつとめであり、修行みたいに思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

浄土真宗は阿弥陀さまのお救いの宗教です。浄土三部経には迷いの衆生を救おうと慈悲充満する願いと修行の完成が説かれています。聞いてみると阿弥陀さまは煩悩具足のこの身に「南無阿弥陀仏」が行われて、私を仏さまになされるお慈悲の親さまでありました。

私たちは阿弥陀さまが満ちてくださっている御恩報謝の日々の生活を営みます。

以前は、彼岸会ではなく、讃仏会という法要名だったようです。

いずれにしても浄土真宗で行う彼岸会と『正信偈』に見られる親鸞聖人の讃仰された浄土観について少し伺ってみましょう。は、日々の生活と変わらず仏徳讃嘆・御恩報謝のご法要です。

『正信偈』に見られる親鸞聖人の讃仰された浄土観について少し伺ってみましょう。

初めに「覩見諸仏浄土因」(『註釈版聖典(第二版)』203頁)とある浄土は清浄土、すなわち清浄で清らかな世界です。その反対は穢土といいます。この世界は穢れた世界です。新型コロナウイルスによる自粛中にマスク等の買い占めや陽性者・高齢者など社会的弱者への誹謗中傷を見聞きするとき、そう思います。浄土はその反対です。

次に「必至無量光明土」(同206頁)とあるように、浄土は無量光明土、すなわち明るい世界です。一方この世は無明長夜の世界です。闇夜は常に光を要求しています。真っ暗な世界にもっと明るい世界を求められたのが無量光明土です。

三つには「至安養界證妙果」(同206頁)とあるように、浄土は安養界です。安らかな世界であり、落ちつける心の許せる世界です。この世は火宅無常の世界だから、火のついた家にいるような落ち着かない世界です。あなたが心の底から安心できるのは、隔てのない南無阿弥陀仏の仏さまだけです。

最後が「速入寂静無為楽」(同206頁)。浄土は寂静無為の楽(みやこ)と示され、静かな落ちついたところです。一方、この世は親鸞聖人の時代も今日の時代も慌穢れた、真っ暗がりな、火事場のような、そして慌ただしい世界にあって南無阿弥陀仏に満たされた親鸞聖人の浄土観は、清らかな、明るい、安らかな、落ちついた静か世界ですと味わわれたのでしょう。朝の「正信偈」のお勤めがあこがれるお浄土を反映し、御恩報謝の日々をお育てで満ちてくださいます。称名。ただしいことに変わりはない世界のようです。

 

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