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2020年11月の法話

布施「ほどこし」

城厚慈 本願寺派布教使 福岡組 光専寺

仏道修行の中に「六波羅蜜」(ろっぱらみつ)という行があります。「布施」(ふせ、施すこと)・「持戒」(じかい、戒律を守ること)・「忍辱」(にんにく、耐え忍ぶこと)・「精進」(しょうじん、すすんで努力すること)・「禅定」(ぜんじょう、精神を統一すること)・「智慧」(ちえ、悟りを得ること)の6つです。

その6つの中の布施行について、私たちは自らを犠牲にし、他者のために施すことができると思っていますが、なかなかそうできるものではないようです。布施行の中にはお金がなくても、物がなくてもできる「無財の七施」があります。

①「眼施」・・・(げんせ、優しいまなざし)

いつでも・どこでも・どういうときでも優しいまなざしで人に接することができるかと問われたら、皆さんいかがでしょうか。

②「和顔悦色施」・・・(わげんえつじきせ、優しい顔つき)

顔は笑顔でも目が怒っているということはありませんか。その時の気分や相手によって、いつもの顔つきとは違う表情になっていることに気づかない私ではないでしょうか。一日中穏やかな顔つきで過ごせたら良いのでしょうが、同じ人と会話中に、自分にとって気分を害することがあるとその瞬間に和やかな顔が一変しませんか。心から笑顔でいられたら、相手も心を開いてお互いに笑顔でいられることでしょう。

③「言辞施」・・・(ごんじせ、優しい言葉)

自分が困っているとき、おろおろしているときに他人から優しい言葉をかけられるとホッとしますね。優しい言葉をかけるには私の気持ちがイライラしていたり、自分の事ばかり考えていたりすると、なかなか優しい言葉が出てきません。相手のことを思い、寄り添うことができればいいですね。

④「身施」・・・(しんせ、礼を尽くすこと)

今、自分が生きていることが当たり前と思っていることが多分にありませんか。よく考えてみると毎日食事を作ってくださる方がいます。食事をいただかないと私の命は絶えてしまいます。家で食事をするときも、外食のときも、お弁当を買うとき必ずこの食事を作られた方がいます。

また、この食事には牛や豚、鶏、魚、米、野菜などなどたくさんの命があることを忘れてはならないと思います。私たちはどれだけの数の命をいただいているのでしょうか。さらに、お米を育ててくださる方、運んでくださる方、売ってくださる方がいます。お米一つとっても、こうしてたくさんのおかげで私たちは食事をすることができるのです。

浄土真宗本願寺派では食事をいただく前に食前の言葉を申します。

 多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。

 深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

私の命が生かされていることに感謝し、お礼を申すことを心がけたいですね。

⑤「心施」・・・(しんせ、優しい心持ち・心配り)

人の苦しみや喜びを自分のこととして受け止める心が言葉になって現れたり、顔に出たり、眼差しとなるのでしょうね。

⑥「床座施」・・・(しょうざせ、場や席を譲りあうこと)

電車やバスが満員の状態で自分が席に座っているとき、大きな荷物を持ったご年配の方が乗ってこられたとき、皆さんはどのような対応をなさいますか。寝たふりをしますか。意地でも席を譲りませんか。「どうぞ」と声をかけて譲りたいものですが、自分の体調があまりよくないとき、イライラしているときにはどうでしょうか。できそうで、実際にはできないのではないでしょうか。私の心の中にある自己中心の思いがそうさせるのでしょうね。

⑦「房舎施」・・・(ぼうしゃせ、客人をお部屋に通して労をねぎらうこと)

現代では人をお部屋に通すということができそうでできない環境事情になってきましたが、労をねぎらうこころは持ち続けたいですね。

以上の7つが無財の七施です。財を持っていなくても、いつでもどこでも誰でもできる思いやりのある生き方を示しておられます。私の命は縁の中に生かされています。一人で生きているわけではありません。支えあうこころ、寄り添うこころ、私のできることから始めてみませんか。

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