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2020年12月の法話

凡夫(ぼんぶ)

鷹取直道 本願寺派布教使 鞍手組 明元寺

今年2月の終わり頃、あるドラッグストア店員さんの次のような言葉がインターネット上に広がり、ニュースでも取り上げられました。

今まで笑顔だったお客様が、全員鬼に見えます

ちょうどコロナ禍による不安が広がりはじめ、お店には毎日のようにお客さんが殺到し、マスクや消毒液等が品薄になっていた時期です。多くの人が心の余裕をなくし、我先にとお店にやってくる。そして目的のマスク等が無ければお店の人に「なぜドラッグストアなのに在庫が無いのか」、「いつ入荷するのか」と何度も問い詰める。ここで鬼と表現しているのは、疑心暗鬼が生じ、自己中心的なお客のすがたを喩えてのものでしょう。そんな毎日のつらい心境から出た、店員さんの悲痛な叫びだったのだろうと思います。

自己中心的で鬼のような行いを起こす心、これは仏教的には「煩悩」と言い換えることが出来るのではないでしょうか。今回はたまたまこの店員さんの言葉がきっかけで、鬼のすがたが取り上げられました。しかし私達はコロナが原因で鬼になるのではありません。根本的な原因は煩悩を無くすことが出来ない自分自身にあるのです。このように煩悩をかかえた者を仏教では「凡夫」と呼びます。

親鸞聖人は

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず

『一念多念文意』(註釈版聖典 693ページ)

と、いのち終わるその時まで自己中心的な生き方しか出来ないのが凡夫のすがたであると、自分自身を厳しく見つめておられます。そして同時に、だからこそ決して捨てることなく「必ず仏と成らせるぞ」とはたらいてくださる阿弥陀様のお心を、お念仏を通してよろこばれたのです。

様々なきっかけですぐに鬼となってしまう私達です。この鬼の心を無くすことは出来ません。しかしせめてお念仏申しながら、自分の本性である鬼のすがたと向き合い、親鸞聖人もよろこばれた阿弥陀様のお心を聞かせて頂く人生をともどもに歩ませていただきましょう。

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