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2021年5月の法話

如来さまの「覚悟」

熊鰐信行 本願寺派布教使 遠賀組 西圓寺

ちょうど一年前、私は自動車学校に通っていました。といいますのも、昨年の春まで京都で学生生活を送っており、自動車の必要性を特に感じなかったことから、自動車の免許を取っていなかったのです。

人生で初めて座る運転席。路上教習では、初めて公道に出るというワクワクよりも、この先どうなるのだろうか、無事に自動車学校まで帰ることができるだろうかという恐れや不安の中、びくびくしながら運転したのを覚えています。そのような中、私をご覧になった教官の先生が、次のような言葉をかけてくださいました。

私の仕事は、あなたを必ず自動車学校まで連れて帰ることです。もし、あなたを事故などに遭わせて、無事に連れて帰ることができなければ、私は教官として失格です。何かあれば、私がブレーキを踏みますし、ハンドルも一緒ににぎりますから、どうぞ安心して運転してくださいね。

とても力強く、心強い言葉でした。もちろん、その言葉をかけてくださったからといって、私の運転技術が急激に向上したかといえば、そんなことはありません。むしろ、私の運転技術は以前と何一つ変わらなかったはずです。後続車に迷惑をかけていないだろうか、歩行者がいきなり飛び出してこないだろうかという数々の不安も尽きることはありませんでした。 しかし、教官の先生の、「あなたを必ず連れて帰る。そうでなければ、私は教官として失格だ」という力強い言葉から、不安さえも包み込んでしまうような大きな安心をいただいたとともに、教官としての先生の「覚悟」を知らされたことでありました。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。それは、この世界で最も力強く、心強い言葉であるとともに、言葉というかたちをとって私たちに届いてくださっている阿弥陀如来さまそのものであります。「すべての人々を我が国浄土に生まれさせることができないようなら、私は仏になりません」という如来さまの願いを、私の口から出る南無阿弥陀仏の中に聞かせていただく、それがお念仏の生活です。「あなたを見捨てるようなことがあったならば、あなたの悲しみを悲しみのまま終わらせるようなことがあったならば、私は仏として失格だ」という如来さまの「覚悟」を知らされた時、それはひとえに救われ難いこの私を救うための「覚悟」であったのですねと、如来さまのご苦労に自ずと頭が下がっていく世界がここにありました。

称名

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