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2021年6月の法話

苦しみごと包んで

佐々木朋信 本願寺派布教使 福岡組 法泉寺

女優の芦田愛菜さんがあるインタビューで「信じるとは?」という質問に対しての応えが印象に残りましたので紹介いたします。

『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて。
だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんです。

私はこの記事を読んだ時「確かに」と納得しました。私もよく人のことを信じようと思って信じてみるものの、裏切りや期待外れだと思えてしまうことが多々ありました。

人には様々な一面があります。しかし、自分の固定観念で勝手に相手を決めつけてしまい、他の一面を見ようとしていないことがあります。そして、自分の固定観念と違った時に裏切られたと思い、自分自身を苦しめています。自分の固定観念でしか見ることができないことを「煩悩」と言います。

この煩悩は、命終えるその時までもちつづけております。煩悩によって苦しんでいる私を、決して見捨てることなく、必ず救うと誓われたのが阿弥陀様であります。私たちは自分一人では往生することができません。この仏様は煩悩によって苦しみ、そして自分一人では往生することもできない私をこそ、救おうとしてくださっています。阿弥陀様はこの私に救いを与え、その救いに気づかせてくださります。

 

合 掌

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