浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

中島 法昭  本願寺派布教使 粕屋組 藤円寺

彼岸花が咲く季節となりました。

 

三年まえに、真田幸村の城下町長野県上田市の郊外にあります美術館を尋ねました。『無言館』と名づけられた美術館には、太平洋戦争で亡くなられた戦没画学生の遺した作品が、300点展示されています。

 

東京美術学校の学生は、60数年まえに、「お国のため」「天皇のため」と戦場へと駆り出されました。あと10分、あと5分でもこの絵を描き続けたい、と言って絵筆を握りしめました。「家族」「編みものをする婦人」「自画像」「裸婦」等の遺作品のなかに、三ヶ月前に結婚した妻を描いた絵がありました。その前で涙を流しておられた婦人の姿を思いだします。

 

この美術館は窪島誠一郎さんによって建設されました。窪島さんは、全国各地を駆けめぐって集めた戦没画学生の遺作品を通して、自らの「戦後」を視つめ直そうとされたのです。その窪島さんの父親が、作家水上勉さんです。水上さんは、戦時中に親子が生きるために幼い窪島さんを他人に手渡しました。辛く悲しい親子の別れを体験された窪島さんが集めた遺作品は、ビートたけしが出演したTVドラマ『歸國(帰国)』の中にもでてきます。

 

『無言館』をでた私は、親鸞聖人750回大遠忌法要のスローガン「世のなか安穏なれ」という文言を思い浮かべていました。もとより「安穏なれ」とは、平和でなくてはならないという意味です。念仏弾圧の嵐が吹きあれた建長年間、性信宛の手紙にでてくる親鸞聖人の言葉です。そして、この言葉を戦没画学生の心に引きよせてみますと、およそ次のことがいえると思います。自らの死を覚悟した彼らの心の奥底には、きっと戦争がなければ自由に絵を描けたはずだ、という思いがあったはずです。平和であって欲しいという無言の声が聞こえてきます。遺作品を照らしだすスポットライトは、そのような人々の悲痛な叫び声を聞きとられた阿弥陀如来の光明(智慧)ではないでしょうか。

 

私たちは、親鸞聖人の言葉をわが身にひきよせて生きていきたいものです。

 

合 掌