浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

簗場飛鳥 本願寺派布教使 早良組 教徳寺

 数年前の夏休み、子どもたちを福岡タワーの小さな水族館に連れて行った時のことです。ネコザメなどの小さなサメに触ることができ、子どもたちはとても楽しそうに見て回っていました。その中に、チョウザメがたくさん泳いでいる3m程の正方形のプールがあり、子どもたちが渡れるように中央に幅30~40cm位の橋がかけてありました。大人が渡るには少し不安なものです。

 すると、2歳くらいの男の子が2~3段の階段に手を添えながら上がり、橋の手前にやってきました。私が大丈夫かなと思っていると、お母さんが小走りでやって来て、後ろから支えます。ホッとするのも束の間、その子は目の前の橋を今にも渡ろうとします。一緒に渡るには幅も厚さもない頼りない橋です。私は内心はらはらしていました。お母さんは意を決したように、子どものすぐ後ろにつき、両手でその子に触れながら、一緒に渡り始めたのです。子どもの歩調に合わせ、顔を寄せながら、1歩1歩ゆっくりと無事に渡り切りました。「渡れたよ!」と嬉しそうにお母さんを見上げる子に、お母さんも「よかったね。」と笑顔で返されていました。

 その子は自分が落ちるかもしれないことも、板の頼りなさなども、何も考えている様子はありませんでした。ただ、渡りたいという思いだけです。お母さんの我が子を守りたいという思いにも、もちろん気づいていないのです。それでも落としはしない、離れることはできないと動くお母さんの思いの中で、その子は安心しているようでした。いつ振り返ってもお母さんがいるという安心。お母さんの嬉しそうな笑顔にまた安心する。その姿をみて、阿弥陀さまを思わせていただきました。

 自分の置かれている状況が不安なものとも知らず、自身が頼りないということにも気づけない私に、阿弥陀さまは「あなたをかならずお浄土に生まれさせ仏にするよ」と願いをかけてくださいました。そして「南無阿弥陀仏」となって、「そんなあなただからこそ、落としはしない、離れはしまい。ここにおるぞ」と私といつでもどこでもご一緒くださっています。これまでも、今も、これからも、阿弥陀さまからいただく安心のなかでございます。

称名