浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

轟勇二 本願寺派布教使 福岡組 傳照寺

 お軽さん(1801-1856)は現在の下関市にある六連島(むつれじま)出身の方で、浄土真宗のご門徒です。他力のお念仏(ご信心)をよろこばれた方、「妙好人」(みょうこうにん)として有名です。

 島一番の御転婆娘で、元来勝気な性格であったお軽さんは19歳の時に結婚しました。はじめは夫婦仲睦まじい生活でしたが、どうしたはずみか夫が浮気をして島になかなか帰らなくなりました。お軽さんはこの事実を知ったとき、夫を信じていただけにその反動はひどく、夫を怨み、浮気相手を怨み、さらには浮気を知りながらも黙っていた島の仲間のことを呪い続けました。この誰にも打ち明けられない煩悶が動機となって、島にある西教寺の住職・坊守に自身の鬱憤を吐き出しながら、仏法を聞いていくようになりました。しかし、何度となくその信仰は崩れ、阿弥陀如来のお慈悲がわからず、悩みの中いっそのこと自らの命を絶とうともされました。

 こうした中でも仏法を聞いていくうちに、もともと自身はいい女房で、いい母親で、いい女であるとばかり思いこみ、夫を憎んでいたお軽さんは、寧ろ他人を怨み、呪い、妬まねばならない自身の悲しさ、恐ろしさに気づいていきました。そして35歳の時、ご縁が熟し、「われにまかせよ、そのままのあなたを助ける」という阿弥陀如来のご本願のまことに頷かれ、お念仏をいただかれました。

 人間は生きている限り愛憎の煩悩の中で惑い、その悩みや苦しみから離れることはできません。罪業深重の私を知り抜き、背負ってくださる大慈悲の親が南無阿弥陀仏です。その尊い親のまことに出会い、自らの姿を知らされ、慚愧と歓喜の中、お念仏に生かされる人生を送られたのがお軽さんでした。ちなみにその後は夫と仲直りをし、ご夫婦でお念仏を大切に生活されたそうです。

お軽さんはたくさんの歌を残しています。そのうちの一部を紹介いたします。

聞いてみなんせまことの道を 無理なおしへじゃないわいな
まこときくのがおまへはいやか なにがのぞみであるぞいな

自力はげんでまことはきかで 現世いのりにみをやつす

わしが心は荒木の松よ 艶のないのをおめあてに

きのう聞くのも今日また聞くも ぜひに来いとのおよび声

重荷せおうて山坂すれど 御恩おもえば苦にならず

亡きあとに軽を尋ぬる人あらば 弥陀の浄土に行ったと答えよ

合掌