浄土真宗本願寺 福岡教区

MENU

みんなの法話

泉谷篤士 本願寺派布教使 夜須組 専念寺

 日、私の知り合いの方が「息子は関東にいます。会社を退職したら実家に帰るよと言ってくれました。その言葉はうれしかったのですが、少し心配なことがあります。息子はお仏壇の前に座って手を合わせるとか、お寺にお参りしようとか、そういった事には興味がないようで、家のお仏壇やお墓をしっかり護っていってくれるのか心配です」と仰いました。私は「大丈夫ですよ。息子さんしっかりお給仕してくださいますよ」といいましたが、心配そうな顔をされておりました。すると別の方が、「あなた大丈夫よ。私も若い頃は、私の母がお寺にお参りするのをみて、なんでお寺にお参りするのだろうかと思っていたけれど、私もお寺にお参りするようになって、母とおんなじことをしていると思い、一人で笑ったわ。だから息子さん大丈夫よ」と仰ってくださいました。

 親鸞聖人は阿弥陀様のはたらきについて、「なほ磁石のごとし、本願の因を吸ふがゆゑに(『教行信証』「行巻」、『註釈版聖典(第二版)』201頁)」と仰いました。磁石が鉄を吸いつけるように、私たちが阿弥陀様に引き寄せられるというのです。阿弥陀様が磁石でその磁石に引き寄せられる鉄が私たちです。鉄にもいろいろあります。ぴかぴかの鉄。錆びた鉄。まっすぐな鉄。曲がった鉄。どんなに優れた鉄であっても、自らの力で動くことはできません。しかし、磁石が近づくと鉄が引き寄せられます。動くことのできない鉄が磁石に引っ付くのです。磁石に引っ付いた鉄は、今度は別の鉄を引き寄せるのです。見た目には、錆びた鉄、曲がった鉄であっても、中身が磁石に転ぜられたのです。阿弥陀様は、私たちを引き寄せてくださいました。引き寄せられた私たち、今度はご縁のある方を引き付けようと導いているのです。