新年を迎えて
森哲人 早良組 西教寺
お念仏を大変喜ばれた石塚朋子さんの詩集「この一本道を」に、このような詩がありますのでご紹介します。
修正会(しゅしょうえ)とは
こころを元(もと)に正(ただ)すこと
毎年(まいとし) 毎年 何年も 何年も
そう思って正月を迎えたのに
すぐに崩れ去った
親の恩 師の恩 友の恩
想っても おもっても ちょっとだけ
ああ、ただ もう 両手合わせるだけ
新しい年を迎えるたびに、決意を新たに今年の目標をたててきました。そして、いつも三日坊主で潰(つい)えてしまう過ちを繰り返してきました。自分で目標を立て、意志さえ強く保てば、必ず実現できるという傲慢なこころに、長い間気づかずに迷い続けてきました。阿弥陀様に照らされて初めて、そのような自分でないことを知らされました。
石塚さんがおっしゃるように、「親の恩 師の恩 友の恩」を自分の損得を通してしか見ることのできない私であったのです。どこまでいっても自分の都合を中心にしか生きていけない私が知らされます。自分がかわいい、ただそのことだけにかかわりはてて生きてきた私だったのです。その自分の生き方を恥ずかしいとも思わないどころか、いつもそれを正当化することに心血を注いできました。
その私に阿弥陀様は寄り添い、涙を流し続け、手を合わせて願い続けてくださっていたのでした。その阿弥陀さまのこころが、私の自力の心を破って、いたり届いてくださったとき、私の心にあるはずもない「恥ずかしい」というこころが起こってきました。
仏様を踏みつけて、ただひたすら自分の力のみを信じて、仏様に背き続けてきた私だったのでした。わたしは恥ずかしい身だったのです。私という人間は、一片の言い訳さえも許されない恥ずかしい身だったのです。そこが知らされたなら、ただ頭を下げて、「南無阿弥陀仏」と、手を合わせ続けるしかない私なのです。そこに大きな喜びとともに、明るくて自在な世界が開かれてきます。