浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

吉弘了暁 本願寺派布教師 御笠組 慶伝寺

誰もが今を生きています。

様々な出来事に出会いながら生きています。

うれしいこと。楽しいこと。

つらいこと。悲しいこと。

苦しいこと。腹の立つこと。

いつまでも、あり続けてほしいことも。

できれば、消し去ってしまいたいことも。

 

 

それぞれの出来事には、その事を生み出してきた背景があります。自ら選び取ってきた背景もあれば、否応なしに与えられてきた背景もあります。

今に立ち尽くすとき、人は時として「なぜこんな事に」とつぶやき、その背景の闇の深さに「だからしょうがない」と、自分の今をあきらめたりもします。

 

「あきらめないでください」

 

同朋運動(部落差別をはじめとして、あらゆる差別・被差別からの解放を願い進める、念仏の運動)に出会って、被差別の立場に立たされている人たちから、多くのことを教わり、学ぶことができてきました。

中でも「差別に負けない」という言葉は、大切なことです。

幾人もの「差別に負けない」生き方をつらぬいた人、つらぬいている人に出会ってきました。

忘れられない一言があります。

 

あなたたちには、差別の中を、名乗って生きていることの苦しさ、つらさはわからないのですね

 

返す言葉がありませんでした。

差別の現実から、自分を隠そう、逃げようとする人の背負わされている毎日の苦しさ、つらさは思えても、差別に向き合い、解放を願っていきる人もまた、同じ苦しさ、つらさを背負って、なお自らを名乗って生きておられることに、思いがいたりませんでした。

 

同じような現実を背負いながら、あきらめて「しょうがない」と流されていく人があり、

「だからこそ」と自分の人生を尽くして生きる人もあります。

人は誰でも、たとえ気づかなくても、心の底では人生を尽くすことを願っています。

「だからしょうがない」から「だからこそ」へと私の今を転じ変えてくださる働きこそ、南無阿弥陀仏のお救いでした。

 

すでに救いの中に居る。

 

「だからこそ」