浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

藤﨑功 本願寺派布教使 東筑組 徧照寺

チャールズ・チャップリンの映画「ライム・ライト」があります。

 

テリーという若いバレエリーナが足をケガして、ガス自殺をはかります。道化師カルヴエロが発見し、彼女を助けます。「なぜ死なせてくれなかったの」と恨みごとをいう彼女に、カルヴェロはこう言って励ますのです。「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものだよ。どんなに辛くても生きるに値するんだ。人生に必要なもの。それは死と同じように避けられないもの。それは生きることだ。」

カルヴェロの愛情と励ましで立ち直ることができた彼女の、晴れ舞台の日。老いた道化師は心臓発作に襲われ、踊子の舞台を幕の間から見ながら、息を引き取ります。

彼女はカルヴェロの死を知らずに、華やかに舞っている・・・・。

 

 

そこで映画は終わります。

人生の哀歓が見る者の胸を締め付けて、涙が滲んでくるような映画です。

 

 

お釈迦さまは、人間のいのちとは・生きるとは・死ぬとは・喜びとはなんだろう。多くの葛藤と感情の心が大きく動かされました。そして、29歳の時に出家を決心をされ、全ての環境・王子の位を投げ捨てて、お城を出られたのです。

どんなに目先の楽しみを追い求めても、老いて・病にかかり、そしてやがては全てを置いて死んでいかなければならない。決して逃れることのできない老・病・死の実体。現代に生きる私たちもまた、誰もがその苦しみを抱えながら生きているのではないでしょうか。

このお釈迦さまの苦悩こそ仏教の出発点であり、この事実と共にどのように生きるかが、仏道でありましょう。

 

「仏法を聞くと、死の話になるから嫌だ」という声を聞きます。確かに死の話は楽しいものではありませんし、できれば避けて通りたいものです。しかし、「死」を無視して、目をつぶって生きることは、「本当の意味での生きることではない」とお釈迦さまは申されています。

だからこそ、阿弥陀如来のご本願は、このような私のために向けられています。わが身の至らなさを思うにつけ、南無阿弥陀仏のはたらきが私を支え、導いてくださることを有り難く受け取らせていただきたいと思います。

欲望や執着に目が向いている間はなかなかそのことに気付きませんが、この人生の事実を「問い」として生きるところに、かけがえのないお念仏の道が開かれていくのです。

 

南無阿弥陀仏