浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

井上正見  本願寺派布教使 嘉麻組 正恩寺

宗祖親鸞聖人に、「何のために、(人間に生まれ)生きられましたか」と真実の生きる意味をお尋ねしますと、次のようにお答えになるのではないでしょうか。

 

 

私は、お名号のみ教えを疑いなくお聞かせいただくため(信心をいただくため)に生きました

 

 

お名号は、阿弥陀如来さまが、私を、命終と同時にお浄土の仏さまにするために、ご苦労してご成就くださった真実の功徳です。お名号には、阿弥陀如来さまのおさとりの内容がすべて具(そな)わっています。

お名号のみ教えを疑いなくお聞かせいただく心を信心といいます。信心は真実心のことで、私は、本来、持ちません。作ることもできません。阿弥陀如来さまからいただきます。

 

 

宗祖は、信心をいただくと、私に二種の真実が恵まれる、と教えられました。

 

(一)私は、自分の力で、お浄土の仏さまになることはできない。

(二)阿弥陀如来さまは、私をお浄土の仏さまにしてくださる。

 

 

(一)について

私は煩悩を欠け目なく具えているので、過去、現在、未来にわたって、煩悩の世界を出ることはできません。煩悩は、迷いの心(私を苦しませる悪い心のはたらき)です。仏さまは煩悩を滅ぼされた尊い方ですが、私は煩悩の固(かた)まりです。私が煩悩でつかんだ生きる意味は、必ずこわれてしまう偽物ばかりです。子どもの成長に生きる意味を見出していた両親は、子どもを交通事故で亡くして、悲しみの涙がとまらない、等のことです。

阿弥陀如来さまは、煩悩を具えた人間は、このように愚痴や涙やため息の空しい(むだ)と味わう人生を、果てしなく生きねばならないとお知らせくださるのです。

 

 

(二)について

阿弥陀如来さまは、迷いの世界を出ることができない私を、間違いなくお浄土の仏さまにしてくださるとお知らせくださるのです。

 

 

以上のように味わわせていただくと、前に述べました宗祖の真実の生きる意味は、「永い迷いのいのちと別れて、命終と同時にお浄土の仏さまに成らせていただくために生きました」と言い換えることができます。

私は、信心の世界を深く味わわせていただく程、自分のいのちの尊さに気づかされ、お育てくださった阿弥陀如来さまにお礼を申さずにいられません。