浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

椿 教信  本願寺派布教使 粕屋組 真覚寺

赤ちゃんは「世の中、自分の思い通りになる」と勘違いしているそうです。周りの大人を操り、自分の都合の良いように動かす様子は、まるでリモコンでテレビやエアコンを操作する姿にも似ています。赤ちゃんの泣き声がまさにリモコンの役目を果たしている訳です。

 

これを心理学では“全能感”あるいは“万能感”と呼ぶそうです。全能とは何でも出来る、また万能とは、何にでも効くこと。つまり「自分が何でもできる」という感覚を意味する言葉で、子供の発達段階に於いて、しばしば見られる現象とされています。それが、ただの勘違いであると気付くことが“成長”なのです。即ち「泣いても思い通りにならない」という事。時に自分の思いと現実のギャップを受け入れられず、もがき苦しむことがあります。それが反抗期。その反抗期も次第に現実を受け容れる中に落ちつきます。

 

しかし、世の中には全能感や万能感を引きずったまま大人になる人がいます。一番ややこしいのは全能感・万能感を持ったまま子供に恵まれ親になってしまうことです。我が子だから親の思い通りになると勘違いをし、思い通りにならないと力ずくで思い通りにしようと虐待をしてしまったり、食事を与えなかったり等の「ネグレクト」=育児放棄という問題が生じるのです。

 

 

お釈迦さまは、この世は「一切皆苦」、即ち思い通りにならないと教えてくださいます。具体的には四苦八苦(生・老・病・死、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)­­、人間として逃れられない必然的な苦しみ、人間として味わう精神的な苦しみをしっかり受け止めることの大切さを教え導いてくださったのです。

 

全能感・万能感を引きずった人は、思い通りにならない現実を受け容れられず加持祈祷やまじない等の神頼りに走ります。思い通りにならない現実を無理やり自分の都合のいいものに変えようとしても、結局は思い通りにならず苦しみが増し、迷いが深まるばかりなのです。その苦悩多き人生を私と共に歩んでくださるお方が阿弥陀様なのです。

 

その昔、毎朝本堂で「ナーモアミダァアンブー」とお勤めしていると、一緒にお参りしていた幼い娘が「ナーミダオォォンブー」と唱えていました。母親である坊守は、「涙おんぶ!?・・・・あみだ様が一緒に涙ながして、おんぶしてくださるなんて、有難いね・・・。」と喜んでいたのです。

 

阿弥陀様は私の苦しみや悲しみ、言葉では言い表すことができない涙を、共に背負ってくださる仏様なのです。阿弥陀様と共に、思い通りにならない人生を、思い通りにならないままに歩んでゆけるみ教えを、親鸞様は明らかにしてくださいました。