浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

星野奏真 本願寺派布教使 鞍手組 真教寺

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9月、満月の美しい夜。

 

「おい、ケンジ。今日は満月がきれいぞ。見るか?」

お兄さんの言葉に、ベットで横になるケンジさんが答えた。

「いや、いい、見たくない。」

 

癌の進行を止められず、余命いくばくも無いと聞かされ、自ら緩和ケアの病院を手配した。ケンジさんはベットの上で自らのいのちと向き合っていた。

毎日、家族が顔を見せた。そこには青白くやせ細ってはいるが、時に冗談を交えて笑顔を見せる、世間的には働き盛りといわれる46歳のケンジさんの姿があった。

 

薬のお陰で痛みは和らぎ落ち着いた日々を送っていたケンジさんがある夜、訴えかけた。

「兄ちゃん。死ぬのが怖い。死ぬのが怖い。」

 

何も答えることができずにお兄さんは病院を後にした。

 

「おやじ。俺、何て答えていいか分からんかった。あいつに何て言ってやればいいか分からんかった。」

お父さんは黙って、お兄さんの言葉に耳を傾けた。

 

翌日、病室を訪れたお父さんがケンジさんに語りかけた。

「ケンジ。おまえ、死ぬのが怖いか? 俺もの、つらい。でもの、ケンジ。浄土真宗はの、死んで終わりじゃないぞ。お浄土に生まれさしてもらうんぞ。仏さまにならしてもらうんぞ。おまえ、先に行って待っとけ。俺が、後から行くから。おまえ、先に行って待っとけ。」

 

それから間もなく、10月の穏やかな秋の夜、家族に看護られながらのご往生だった。

 

―――

 

 

「ご院家。良かった。良かった。」お葬儀直後のお父さんの言葉でした。「あいつが亡くなる前に、浄土真宗のことを伝えられて良かった。あいつが黙って頷いてくれた。その姿が見れて良かった」と。

 

我がいのちと向き合うという本当の思い、死について問われたときの答えようのない思い、我が子を送らねばならない親の思い、それぞれの立場に住職として何とか思いを寄せようとしても寄り添い尽くすことはできませんでした。しかし、ケンジさんに語られたお父さんの言葉と、その言葉に頷いていかれたケンジさんの姿に、生死を超えて離れることのない道がすでに開かれていたことを知らされました。

 

 

私たちの人生は、家族といえども個々別々に生きていかねばなりません。しかしそれは、たった独りの歩みではありません。浄土真宗のおみのりに遇えばこそ、思い計らいを超えてつながっていける道があります。たとえ死を迎えて、悲しみつらさの中にあっても「また一つ処で会える」と言える道があります。「なまんだぶつ、なまんだぶつ」とお念仏申す歩みは、共に阿弥陀さまの願いの中の道です。それが、今、ここ、私に開かれた浄土真宗の道です。