浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

古賀 哲乗  本願寺派布教使 東筑組 教念寺

ある時、地域の中学校の弁論大会に同席させていただき、一緒に聞かせていただきました。その時、ある一年生の女子生徒の意見を聞いて、ハッとさせられました。それは要約すると、「東日本大震災で、多くの方のいのちがなくなりびっくりするとともに、いのちについて深く考えるようになりました。そして、よく考えてみると、人間によって値段をつけられて売られるいのちがあることに気がつきました。ペットショップの犬や猫たちです。さらに、人間に遊ばれるいのちもあることに気がつきました。お祭りなどでの出店の金魚すくいの金魚や、亀すくいの亀です。人間と同じいのちでありながらこの様なことがあってもいいものでしょうか」という内容のものでした。中学生でこんなに深く見つめている子もいるのだなと思うとともに、大人である私たちに厳しい意見を突きつけられたように思いました。

 

人間はいのちが大事だといいながら、人間以外のいのちについては、人間の都合でいいものとわるいものという見方をしています。「絶滅危惧種」には、大変な注目をし何とかしなくてはと大騒ぎしますが、それ以外の虫や動物はどうでしょうか。本来、いのちに軽い・重たいはありません。それどころか、人間のいのちも、蛇のいのちも、蟻のいのちも、犬のいのちもみんな同じ重たさのいのちなのです。人間に食べられるために生まれてきたいのちは、一つもありません。しかし人間は、食べていかねば生きられませんので、せめて食事として頂く前に手を合わせて、「いただきます」くらいは声に出して申しましょう。人間に遊ばれるために生まれてきたいのちは一つもありません。なのに人間は、金魚や亀などを遊びの道具にしてしまいます。恐ろしいことです。人間の傲慢な思い上がりによってしてしまう人間としての行いが、今問題になっているのではないでしょうか。

 

せめて遊びの道具になっているいのちに痛みを感じましょう。せめて住処をあらされて迷い込んで銃を向けられる動物のいのちにお詫びの気持ちを持ちましょう。せめて交通事故で死んでいく動物のいのちに悲しみを共有しましょう。人間だけの地球ではないのですから。

 

合 掌