浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

益永 隆寛  本願寺派布教使 御笠組 来光寺

今から10年前にTBSで、北野武さんが司会をする『ここがヘンだよ日本人』という番組がありました。これは多数の国の方々をゲストに迎えて、日本や日本人について気付いた事や驚いた事を討論する番組です。その番組の中で、日本の若者のモラルが乱れているという事で、数十人の若者を呼んで討論させた企画がありました。

 

なぜガングロ(顔を真っ黒に塗る化粧)や、だらしない格好をして遊び回っているのだというゲストからの質問に対して、「楽しいから」「今しか出来ないから」「誰にも迷惑をかけていないから」といった答えが次々に返ってきました。

 

それをしばらく聞いていた北野さんが言った言葉が、「今しか出来ない事もあるけど、今でしか身に付かない事も沢山あるんだよ」という意見でした。その言葉を聞いたとたんに、若者の1人がまさにはっと吾に返った顔をし、北野さんが自分の下積み時代の事を語りだすと段々と下を向いてしまいました。私にも経験がありますが、きっとその若者は北野さんの話を聞くうちに自分の姿を顧みて恥ずかしくなったのだと思います。

 

その若者の姿を見て私は浅原才市さんの詩を思い出しました。浅原才市さんとは、仏法のみ教えに遇う事によってお念仏をとても慶ばれるようになられた有名なお念仏者(妙好人)です。

 

その詩とは『地獄には死んでおちるじゃない いまおちる あさまし あさまし 懺悔(さんげ) 歓喜の なもあみだぶつ』という詩です。

 

テレビの若者達のように、自らを顧みずに欲望のままに生きる事は、まさに知らずに地獄を生きているような生活です。

 

私たちは自由や豊かさを常に求めますが、人間には欲望の闇がある限り、それを求めるためには、知らず知らずのうちに他者に迷惑をかけたり、排除してはいないでしょうか?

 

才市さんは仏法の教えに遇う事によって、地獄とは今を生きる私の姿だと悟ったからこそ「いまおちる あさまし あさまし」と自らの姿を顧みて深い懺悔のお念仏をし、またその才市こそが仏様の救いの目当てであると「懺悔 歓喜の なもあみだぶつ」と自らの慶びとしてお念仏をされたのです。

 

この才市さんの詩は現代を生きる私に「周りばかり見ずに、もっと自らの姿を顧みなさい、それはとても大事な事ですよ」と教えてくれるような気がします。

 

合 掌