浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

松月 英淳  本願寺派布教使 志摩組 海徳寺

江戸時代の俳人、小林一茶は、篤信の念仏者でした。その一茶の句と言われるのものに「かたつむり どこで死んでも わが家かな」があります。かたつむりは、どこで命終わろうともそこがわが家であるから何の心配もいりません。浄土真宗のみ教えに生きる人は、いつ、どこで、どのような命の終わり方をしようとも、常に阿弥陀さまの救いの中です。一茶は、阿弥陀さまと共に人生を歩む人のことをかたつむりに託して詠んだのでしょう。浄土真宗のみ教えは、常に私に寄り添い続けてくださる阿弥陀さまのみ教えです。

 

6月23日は私の祖父の命日です。亡くなる少し前に、当時大学生だった私は授業を欠席して里に帰り、入院していた祖父を見舞いました。私が病室に入ると、祖父はベッドに横たわり、部屋の窓の外を眺めていました。久しぶりの祖父との会話の中で、祖父がつぶやくようにこう言ったのです。「今年の桜は、なんだか輝いて見える」と。窓の外には桜の枝が一本、こちらに向かって花を咲かせていました。それを見ながら二人で会話をしたのを数年経った今、静かに思い出します。「また会えるお浄土やからなぁ」「倶会一処のお浄土やからなぁ」「ナマンダブツ」と何度も自分に言い聞かせるように語っていました。もう来年の桜は見られないと悟ったときに、目の前に映る一輪の花は、どれほど綺麗に輝いていたのでしょう。もう明日の命もしれないと気づいたときに、今まで聞いてきた阿弥陀さまのお慈悲は、どのように祖父の心に染み渡ったことでしょう。

 

阿弥陀さまのお浄土が祖父の心にどのように映っていたかはわかりませんが、阿弥陀さまは祖父の心をもすべてご存じくださっていました。その上でナマンダブツと届いてくださっていました。「あなたのことはまるごと引き受けたから、安心していいよ」と阿弥陀さまはおっしゃいます。今はただ、阿弥陀さまに抱かれ続けた祖父は、そのままにお浄土へ参ったと聞くばかりです。

 

合 掌