浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

石松 昭信  本願寺派布教使 御笠組 栄法寺

ある会社が敬老の日に、高齢者の方々にこんなアンケートをしたそうです。「敬老の日に何が欲しいですか?」するとほとんどの方々が「物とかお金とかは要らない、やさしい言葉が欲しい」と答えられたそうです。

 

中国の諺(ことわざ)に「人間は冷たいお茶やご飯は我慢できても冷たい眼差しや冷たい言葉には耐えられない」とあります。冷たい言葉、ぬくもりのある言葉と、言葉には温度差があります。

 

世界で一番、誰もが喜ぶ短い言葉は返事だそうです。挨拶をだれのためにするのか? それは相手のためではなく自分のためです。かけた言葉が、そのまま返事となって自分に来たときに人は、自分の存在を確認できます。

 

「念仏(南無阿弥陀仏)は親の呼び声、子の返事」といいます。阿弥陀様という仏様は、いつでもどこでも誰にでも声をかけてくださっています。

 

その声(南無阿弥陀仏)、言葉の内容は「たとえどんなことがあっても、あなたを見捨てないよ、あなたと私はいつもいっしょだよ、だから何の心配もせずに堂々と自分の人生を歩んでいきなさい」とおっしゃっています。

 

作家の藤本義一さんは、母親からいつもこう言われたそうです。「うんと勉強して財産は自分の頭の中に作りなさい、これなら災害がきても泥棒がきても無くなることはない、盗られることはないよ」と。

 

阿弥陀様はいつも、どこでも私と共におられます。そしていつもオートマチックに「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀仏」のお念仏、私への呼び声となって、私の口から出てくださいます。その声を私の耳で聞いていくとき、私と阿弥陀様はひとつとなり、まわりの人々とともに人生が広がるのです。苦難にみちた人生をわかってくださる阿弥陀様といつも一緒ですから、悲しみは半分に喜びは倍になるのです。南無阿弥陀仏の声となって寄り添ってくださる仏様です。

 

合 掌