浄土真宗本願寺 福岡教区

MENU

みんなの法話

能㔟 晃隆  本願寺派布教使 朝倉市 専光寺

阿弥陀様は、迷いの中に生き、どこに向かって生きているか解らない私を救うため立ち上がられ、今「南無阿弥陀仏」の言葉となってはたらいてくださっています。「助かる者を助け、助からない者は、助けない。」というのは、この娑婆世界のことです。「助からない私だから、助けずにはいられない。」というのが阿弥陀様のはたらきです。

 

以前、家族でデパートに買い物に行った時のことです。子どもがオモチャ売り場で迷子になりました。もちろん私も妻も大慌てで子どもを探し回ります。しかし、なかなか見つかりません。ようやく館内放送が流れ、子どもの名前が呼ばれて、保護されているのが分かり安心したことがありました。

 

親と子どもがデパートではぐれると、親を迷子とは言いません。子どもが迷子になるのです。それは、親は自分の力で家に帰ることができますが、子どもは自分の力では家に帰れないからです。

 

でもその子どもも親と一緒に居れば迷子ではありません。自分の力で家に帰れないということは変わらないのに、親と一緒にいれば迷子ではなくなり、親とはぐれると迷子になるのです。

 

この私も阿弥陀様の救いの教えに出会う前も出会った後も、迷いの中にあるという有様は何も変わりません。しかし「南無阿弥陀仏」を称え、阿弥陀様とともに歩む人生になった時に、その人生は迷いの人生ではなくなるのです。

 

そして、子どもをデパートから家につれて帰るのは親の仕事です。浄土に生まれるのは、私の力ではありません。阿弥陀様のお仕事です。阿弥陀様のはたらきがあるから、私は救われ、浄土に生まれることができるのです。

 

合 掌