浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

井上 浄英  本願寺派布教使 那珂組 真教寺(那珂川市)

この春、長女が小学校に入学しました。幼稚園を3年間休まず通園し、皆勤賞をいただきました。風邪をひいたこともありましたが、たまたま幼稚園が休園日だったり、また、「お腹が痛い・・・」と言うので、「今日は休もうか?」と尋ねると、「病院に行ってから幼稚園に行くよ!」と泣きながら訴えてきたこともありました。振り返ると、親子でともに泣いたり笑ったりした3年間でした。

 

皆勤した娘も入園して2週間程は、泣いて帰っていました。最初は、幼稚園で何かあったのかと心配しましたが、涙の理由は別にありました。それは、幼稚園バスで帰ってくる娘を妻が、「お帰り」といつも迎えています。娘の涙の理由というのは、「お帰り」というお母さんの声に安心しての涙だったのです。入園したばかりで不安で一杯の娘が、「お帰り」の言葉に緊張の糸がプツンと切れて、ホッとして安心して泣いていたのでした。

 

この「お帰り」の言葉の中には、妻の様々な思いが詰まっているようです。大丈夫だった? ケガはしなかった? 給食は食べた? お友達と仲良くしている? など、妻の心配は尽きることがないのです。「お帰り」には、「私はここにいるよ、大丈夫だよ・・・」という、母のほっとけないというはたらきが溢れているのです。

 

涙を見せた娘も次の日には、「行ってきます。」と元気に幼稚園へ。それを「行ってらっしゃい」と見守る母の姿がいつもありました。

 

『南無阿弥陀仏』は、苦悩の有情、生きとし生けるものすべてをほっとけないという、よりそいの名のりであります。『ここにいるよ』と、いつでもどこでもどんなときでも、おはたらきくださっているのです。この『南無阿弥陀仏』に包まれて、悲喜の人生をお念仏申させていただきながら、生きて往きましょう。

 

合 掌

 

※執筆者所属寺の真教寺の「真」は「眞」の2画目までが「十」になったものです