浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

泉谷親英 本願寺派布教使 早良組 一乗寺

33年前にご主人を亡くされた方のお宅に毎年、祥月命日のお参りに行きます。三年前の祥月命日の日に私におっしゃいました。「最近、お寺の報恩講や、永代経にお参りしたくなったんです。私の所にもご案内を出してくださいませんか」何か心境の変化があったのかなーと思っておりましたら、続けて話してくださいました。「主人を亡くしたからでしょうか、お友達と比べると仏さまが身近な存在だと感じてきました。主人のお陰で身近な存在だと気づくようになりました」「そうですか」と答えた後にお浄土のお話をしました。

極楽浄土の世界に往生、生まれ往くのは阿弥陀さまの力に依るものです。阿弥陀さまは生きとし生けるもの全てを救わずにはおれないとの願いを私たちにかけてくださっているので、いずれ私もまた、仏さまの世界に、先に往かれた方々の世界に、必ず参り、あわせていただきます。お寺で私たちを救わずにはおれない仏さまのお話を一緒に聞かせていただきましょう。お待ちしていますよと話をして帰りました。

極楽浄土といいますと、何か遠い世界の話に聞こえ、私どもが住んでいる娑婆の世界とは全く関わりを持たない世界に往き生まれたと思うかもしれません。往生といわれても、私のいのちが尽きた時の事であって、今あるいのちとは関係が無いのでしょうと感じる人は多いのかもしれません。奥さまが私に言われた、「仏さまが身近な存在になりました」これは今あるいのちの話もしているのですよと、私に訴えておられたと思うのです。

3年前の自分に付け加えたい事があります。私に往く先を示して、私のいのちに届いてくださるのがお浄土のはたらきです。阿弥陀さまが建立されたお浄土は阿弥陀さまの願い(あなたを救いとって離さない)が完成した状態で、願いによって形作られています。お仏壇のすがたは私をお浄土へ摂めとる願いが“はたらき”となって、私に仏道に向かわせようと届いてくださっています。お浄土は形となってあらわれて、今、ここで、私のうえに“はたらき”となって、常に降り注いでくださいます。