浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

荒木 智照 本願寺派布教使 上下組 正福寺

今年も衣替えの季節となりました。少しずつ風も涼しくなったような気がいたします。

さて、私達のお聞かせいただく浄土真宗は、阿弥陀様と仰る仏様の「南無阿弥陀仏と念仏させて必ず仏と成す」というお救いを聞き慶べるご宗旨です。

法語の中に「信心正因称名報恩」というお言葉がございます。このお言葉は「阿弥陀様の世界である極楽浄土に往生して仏と成る原因(正因)は、阿弥陀様からのおはたらきにより生じた、往生成仏を疑いなく慶ぶ心(信心)であり、その信心が作用して出現した相が南無阿弥陀仏(報恩)と申すお念仏(称名)である」とのお心です。すなわちお念仏したから救われるのではなく、阿弥陀様からすでに救われている相がお念仏であるという事なのです。

丁度この季節、暑い夏が過ぎ、風は涼しくなってきました。汗ばんでいても、ひとたび風に吹かれれば、スーっと冷やされて気持ち良く、思わず吐息がこぼれます。

また、だんだんと寒くなり冬が近づくと温泉が恋しくなります。外が冷たく寒くとも、ひとたびお湯に浸かれば身体の芯から温められて、思わず吐息がこぼれます。どちらの場合も暑さが冷まされ、寒さが温められて、それぞれの効用たる働きの作用により、そこに吐息がこぼれ出る。私が吐息をこぼせば暑さ寒さが癒えるのではなく、私の力及ばぬ風や源泉が本来持っている働きが作用した事で、寒さ暑さに敵わぬ私が癒されて、思わず吐息が出るのです。風や源泉の効用たる力が信心ならば、その作用を受けてこぼれる吐息はお念仏でしょう。

阿弥陀様は「全ての命を救いたい」との願いを起こされました。大変なご苦労くださってどんな命も仏と成せるほどの功徳を成就なさいました。その功徳をもって信心となりておはたらきくださり、その作用として心に口にお念仏の相と現れ称えられていてくださる仏様であります。

往生とは、二度と悩み苦しみを受ける事のない悟りと慈悲に満ち溢れた阿弥陀様の世界に生まれ仏と成るということ。成仏とは、悩み苦しむ全ての命を自在に救うことのできる阿弥陀様と等しき仏に成るということです。この往生成仏を得るということは、私の勝手な思考や行いから得られる事ではありません。それは唯々、阿弥陀様のおはたらきのみにより恵まれることなのです。

この人生、お念仏申すことあるならば、それはすでに救いの中にあり、阿弥陀様がご一緒くださっている、安心して生きていける尊い人生であります。