浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

笠 一道 本願寺派布教使 早良組 西音寺

御開山親鸞聖人は、教行信証の冒頭に「ああ弘誓の強縁、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」とお述べくださり、それは祖師方を通して、あい難くして、聞き難くして、今、阿弥陀さまのお誓いに出遇わせて戴きましたと「ああ」という感嘆の言葉をわざわざお付けになって大変およろこびになられました。

 

2017(平成29)年に「第25代専如門主伝灯奉告法要」がご本山でお勤まりになる時、私のお寺は近隣5ヶ寺合同での法要参拝と決まり、総勢100名での団体参拝旅行となりました。京都駅までおよそ3時間。新幹線に揺られて、いよいよ本願寺へと参拝です。私は旅行責任者を担っておりましたので、本隊バスより先にタクシーで一人前乗りし、本願寺にて受付をしている頃でした。添乗員さんから電話があり、「笠先生!100名のうち、お二人おいでになりません!しかもそのお二人は西音寺さんのご門徒さんです!」と言われました。たまたま片方の番号を知っておりましたので、「〇〇さん、今どこにおんしゃぁとですか?」と訊ねますと「どこにおるかわからんとたい」と言われますので、「八条改札口を出られたのは間違いありませんので、コインロッカーが見えましたらその先にタクシー乗り場があります。そこに行ってください。添乗員さんに向かっていただきます」と伝えました。いっときして今度は当人から電話が掛かり「住職!どげんしよう。タクシー乗り場すら分からん!」と…。私はこりゃ困ったと一人アタフタしておりましたら、10分程して添乗員さんの方が見つけてくださり一件落着。聞けばなんと行きの新幹線内二人で日本酒10合もやって、おりた途端催して勝手にトイレに行ったとのこと…。事なきをえてよかったのですが、私は考えました。迷子になる原因は二つある。一つは自分の居場所が全く分からないということ。もう一つはそれに加えて行き先も分からないということです。この二つが揃って迷子になるのです。これは、他人事の話ではなかったなと思いました。ひょっとすればこの私は迷子と変わらないような人生であったかも、ただ生まれてただ死んで行くだけの命だったかもしれません。しかしみ教えに出遇うたとき、今私がどのような世界に生きておって、どちらの行き先に向うているのか明らかに聞かせていただきます。

 

今生きている娑婆は、ざっといかないことに出会いながらそれを耐え忍んでいかねばならない世界のようです。縁に触れれば苦しみ悩み、悲しみのどん底に沈んでしか生きていけないこの私がいます。その私を阿弥陀さまは、「安心しておくれ、けっしてあなたを一人にはしない。抱いてかかえてつれていく」と行き先を告げながらご一緒くださっているのです。その阿弥陀さまの願いのかかった命の行き先をお浄土といただき、今この身は、阿弥陀さまの願いのかかった命を頂戴しているのだと味わいます。

 

よく見ますと、「値(まうあ)ひ」と、値打ちの「値」という字をお使いになって「アウ」という表現をしておられます。ともすれば、私は、自分のことにすぐ値打ちをつけたがりますがそうではなくて、阿弥陀さまの弘誓(ちかい)のお値打ちのそのままが、お救いの徳そのままが私のうえに、向こうから顕現してくださっているのですと親鸞聖人がお説教くださっているように味合わずにはおれません。

 

 

※本稿は福岡教区夜須組「浄覚寺寺報№55(2021年夏号)」に掲載したものより一部修正しております