浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

賞雅曜哲 本願寺派布教使 福岡組 正覚寺

親鸞聖人が法然聖人のもとで求道されていた時のご様子を、恵信尼様がお手紙でお残しくださっています。そこに「生死出づべき道」という言葉が出てまいります。親鸞聖人は生死の迷いを超えていく道をお求めになったということです。この言葉をいただく時に思い出すお話があります。

 

昔、京都大学に久松真一という哲学者がいらっしゃいました。茶道の達人で臨済禅の修行者でもある方でした。時は太平洋戦争の末期、この方の教え子が学徒動員のため、兵隊に招集されることになりました。

 

その学生は最期の別れの挨拶ということで、お寺に独居している久松先生を尋ねました。「先生、私は戦争に行くことになりました。これから郷里に帰ります。今まで本当にありがとうございました」と言うと、先生は「そうか」と一言だけ返しお茶を点てられました。

 

お茶を差し出されいただこうとした学生に、先生はポツリと「人っていつ死んでもいいものだね」と仰ったそうです。そう言われて思わずお茶を飲む手が止まってしまった。「はい」とも「いいえ」とも言えない。「いつ死んでもいい」とはなかなか思えない。学生は返事が出来なくなった。

 

少し歓談をした後、先生が小さなお茶菓子を出してくださったそうです。学生がそれをいただこうとしたら、また先生が今度はポツリと「体だけは大事にしなさいよ。大事に大事にしなさいよ」と仰ったそうです。また手が止まってしまった。さっきは「いつ死んでもいい」と言われたのに、今度は「身体を大事にしなさいよ」と言われ、訳が分からなくなり、また返事が出来なくなったのです。帰り際「それでは失礼します」と言って先生を見たら、先生は涙ぐんでいらしたそうです。

 

この時の学生は戦争を生き残り、大学の先生になりました。後にこの日のことをふり返って、「挨拶に伺ったあの日、私は久松先生に、生涯かけて取り組むべき課題をもらったような気がするんだ。あれから後の私の学問はね、あの時の先生の『人はいつ死んでもいいものだね』という言葉に『はい』って素直に返事が出来る人間になること。『身体を大事にしなさいね』って言葉にも『はい』って言える、これが二つともすっと通るような、そんな人間になりたい。そう思ってやってきたんだ」と話されたそうです。

 

「いつ死んでもいいものだね」と言われたら「そうですね」と返し、「大事にしなさいよ」と言われたら「ありがとうございます」と言えるようになる。生きていることを有難いことと頂戴し、死にゆくこともまた有難いことと頂戴していく。生老病死のど真ん中にありながら、生老病死を超えていく。それが仏教の目的です。親鸞聖人の求道もそこにあったと伺います。末法濁世の凡夫であるこの私の、生死の問題を解決する道を、阿弥陀仏のご本願にお求めになられた。それが親鸞聖人でございました。