浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

花田照夫 本願寺派布教使 西嘉穂組 長明寺

1月より、NHK大河ドラマ『どうする家康』が始まりました。なんだかんだ言いながらも、見てしまう大河ドラマ。今年も一年楽しみにしております。

さて、そんなNHKの歴史モノ番組ですが、十代の頃の私は毎年の「大河ドラマ」よりも、『その時歴史が動いた』が好きでありました。

司会はフリーアナウンサーの松平定知さん。エンディングの「タラララ~」というテーマ曲がなんとも壮大で、見終わったあとすっきりとした感動が湧き上がってきたものです。

 

以前、この番組ホームページを見たときこんな一文がありました。

「歴史は数字(年号)と歴史事項の無機的な、暗記の集積ではなく、切れば血が出る人間が織りなす哀歓、愛憎渦まく“人間ドラマ”なのだ」。

私たちは「歴史」を学校の授業の中で「数字(年号)」「歴史事項」として学んできました。

例えば、794年は「鳴くよ(794)ウグイス平安京」であり、1192年が「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」。

それらをきちんと覚えればテストで点数がもらえたのです。

しかし、何よりも忘れてならないのは、その時代時代を、一生懸命に生きていた「人間」がいたということ。

そして、それらの方々が、その哀しみ歓び愛しみ憎しみの人生の中でお念仏を申してこられたからこそ、今、私たちもこうしてお念仏を相続させていただいていけるのです。

 

歴史という人間のドラマ。

それはたとえるのであれば、今この瞬間まで、ずっと続いてきたヨコの軸であります。

では、古来より、その“人間ドラマ”の主人公の一人一人がお念仏をいただいて、生きてこられたということはどういうことか。

それは、その膨大な長さのヨコ軸の“全て”の箇所を貫く、タテの軸があったということです。そのタテ軸こそが阿弥陀さまであり、タテとヨコの軸が交差する点が「南無阿弥陀仏」です。

 

この南無阿弥陀仏を日々の生活の中で大切にしつつ、また、次世代につなげていきたいと思います。

 

前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。

連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。

無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり

(『教行信証』後序)