報恩講に思う(2025年1月)
木村 大信 本願寺派布教使 福岡教区 御笠組 光傳寺
肌寒くなり始めた頃になると、全国の真宗寺院では報恩講が勤まります。報恩講とは十方衆生と喚びかけて全ての命ある者を浄土へ迎え取り仏にすると誓われた阿弥陀如来のご恩は勿論ですが、その阿弥陀如来の本願によって浄土に往生を遂げ仏とならせていただく道筋を自ら喜び、有縁の人々に勧められたご開山のご苦労を偲びつつ各寺で勤まる親鸞様の法事だと受け取っています。
又、真宗寺院の中で数ある法要の中で一番大切なのがこの報恩講です。恩と言っても様々なご恩があります。身近な事から考えてみましょう。
第一に自然の恩恵です。豊かな大地、太陽や水が無いと作物は何一つ育たないし、私たちが食べる事も出来ません。海や川からの恵みも漁師さん方のお陰で食べる事が出来ています。
次に親の恩はどうでしょう。子どもが頼みもしないのに危ない目に合わないように付かず離れず常に見守ってくれていますし立派に育ててくれました。ですが動物、生き物の愛情の限界は自分の子どもの事だけです。阿弥陀如来は我が子限定どころか全ての生命が自らの事のように気になり案じてくださっています。
若い時にこんな言葉を聞きました、「返して帳消しになるのは恩ではなく義理である」又「恩とはこちらが求めるよりも前から既に与えられたもの」とも書いてありました。受けた自然からの恩恵への恩返し、愛情一杯に育ててくれた親への恩返しも何一つ出来ない、この私が念仏の教えに出遇えた今、受けた様々なご恩は丸々いただいて、返せないのなら、そのご恩に恥じない、報いる生き方を心がけることは出来る筈です。
真宗の門徒でよかった、念仏の教えで有難かったと、今後も生涯聞法の実践、聴聞を積み重ねて参りたいものです。