念仏一つのおすくい(2025年4月)
中村 隆教 本願寺派布教使 山口教区 岩国組 宗清寺
阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」という僅か六字に浄土に生まれさせ、仏とする功徳をおさめて、今全ての「いのち」の上にはたらいてくださっています。それが「念仏」です。阿弥陀如来は私たちに、多くの修行や善行を修めることを求めませんでした。ただ「念仏」のみを与えて下さったのです。
ある御門徒のところにお参りした時の事です。お参りの後に話をしていると、お医者さんの話になりました。その方は目を患っていたのですが、この度お医者さんを変えたところ非常に良かったということでした。何がそんなに良かったのかと尋ねますと薬の数を減らしてくれたからと答えられました。
これまでのお医者さんは次第に薬が増えていき、多い時には10種類以上の薬を処方されたそうです。朝、昼、晩、食前、食後などに、どの薬を服用するのか把握することも大変で、指示通りに飲むことも大変だったと言われました。
ところがこの度のお医者さんは、その方の症状を診断して、それまで飲んでいた薬を精査し、それならこれだけで大丈夫ですよと一種類だけ薬を処方されたそうです。おかげで薬を服用することに悩まなくてよくなったと喜んでおられました。
肝心の症状も薬が減る前よりも良くなっており、病気と以前より向き合いやすくなったそうです。その喜ぶ姿に阿弥陀如来が「念仏」一つを選び与えてくださった意を知らされたような思いがいたしました。
病に対し数多くの薬を定められたとおり服用し対処することは、仏道でいえば自身で行住座臥(ぎょうじゅうざが)に数々の行を修めることに似ます。施しや戒律を守っていくことは尊いことですが、修行の一部でしかなく仏になる功徳の一端にしかなりません。しかもそれら全てを定められたとおり修め続けなければならないのです。
一方、一つの薬に病に対するはたらきを全ておさめ服用していくことは、「念仏」一つのおすくいに似ます。どの行一つとっても満足にこなすことのできない私たちのためのおすくいが「念仏」であったとお聞かせいただきます。