浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

波佐間正弘 本願寺派布教使 山口教区 美祢西組 正隆寺

「浄土三部経はお手紙だ」と稲城選恵和上が仰っておられたのをお聞かせいただきました。

 

以前、家の郵便受けに届いていた手紙を、妻が持ってきてくれました。封筒を開け、手紙を取り出し、読んでみると「この度引越しをすることになりました」ということが書かれてありました。差出人を確認するのを忘れていましたので、封筒の差出人を見てみると、そこにある名前に憶えがありませんでした。いろいろと考えたのですが、どうしても思い出せず困っている時、ふと表面の宛名を見ると、そこには父の名前がありました。私と父は名前が一文字違いでよく似ています。妻が勘違いをして持ってきて、私も確認を怠りました。ですからこれは私への手紙ではなく、父への手紙でした。慌てて手紙を封筒に戻し、まるで開いてないかのようにきれいに封をしてから父のもとにもっていきました。すると父は同じように封筒を開け、手紙を読み、「久しぶりに会いたいな」と大切そうに手紙を自分の部屋に持っていっていました。

 

中身は全く同じ手紙です。しかし私にとっては、知らない人から自分ではない人に宛てられた手紙です。乱暴な言い方をするならば、どうでもいい手紙です。しかし父にとっては大切な友人から自分に宛てられた大切な手紙です。

 

手紙というものはどんなに素晴らしい本文があっても、宛名と差出人によって、どうでもいいものにもなれば、大切なものにもなります。

 

稲城選恵和上は「浄土三部経はお手紙よ。そしてこのお手紙の宛名は全てこの私。差出人は全て阿弥陀様であります」と仰っておられました。

 

私へのお手紙といただく中に、阿弥陀様の願いは私一人がためでありましたと聞いていかれたのが親鸞聖人であり、そのお手紙を大切にお聞かせいただく中に、安心をいただいていくのが、浄土真宗であります。今日も私一人がためと、おはたらきくださる阿弥陀様とともに安心の中を歩ませていただきます。南無阿弥陀仏。