「亡くなっていかれた方々との関わり」(2025年10月)
入江 楽 本願寺派布教使 福岡教区 粕屋組 光雲寺
「暑さ寒さも彼岸まで」
毎年のことになってしまいましたが、今年の夏も猛烈な暑さが続く毎日でした。「この暑さがずっと続くのではないか」と思わずにはいられない日々でしたが、ことわざにもありますように、秋のお彼岸を迎えた辺りから、特に朝晩は暑さも和らいでいるように感じられます。とは言うものの、まだまだ日中は真夏のような暑さが続く日々であります。
この「彼岸」、彼(か)の岸という言葉は、「生死の迷いを超えたさとりの世界」を意味しています。日本におけるお彼岸という時期の呼称自体も、この仏教における「彼岸」が由来にあります。私たち浄土真宗のみ教えをいただく者にとって、お彼岸は亡くなっていかれた方々を偲ぶと共に、そのお姿や思い出を通して、阿弥陀さまの「われにまかせよ 必ず救う」と私たち一人ひとりにはたらかれている、そのおはたらきを慶ぶご縁でありましょう。
さて、亡くなっていかれた方との関わりということについて、先日あるニュースが目に留まりました。AI(人工知能)の技術を用いて、故人の生前の写真や動画、音声データ等を学習させることでその姿や声を再現する、いわゆる“故人AI”というサービスについて紹介していました。亡くなった方のこと、その姿や言葉を思い出す中で、励まされたり、慰められたりすることは多くの方が経験されているでしょう。その意味では、“故人AI”自体もそういった想いの先に求められ、提供されているサービスかとは思います。ただ私自身はニュースを見る中で、何か大きな違和感を覚えたことも事実です。
急速な科学技術の発達の中、私たちを取り巻く環境は大きく変わり続けています。正に無常の世を生きる中で、亡くなった方との関わりという点でも、今までと異なる価値観が生まれてくることでしょう。ですがどのように時が移り変わるとも、阿弥陀さまは常に私たち一人ひとりに「われにまかせよ 必ず救う」と願いはたらかれておられます。そしてそのおはたらきに出遇われ、先立ってお浄土へ往かれた方々が、阿弥陀さまのおはたらきの中で仏さまとして私たち一人ひとりを導き、護ってくださっている、それも決して変わることはありません。決して変わることのないおはたらきの有難さに手を合わせ、お念仏申していく中で、変わり続ける時世を共々生きてまいりましょう。