浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

立花慈友 本願寺派布教使 福岡教区 鞍手組 法蓮寺

 
南無阿弥陀仏は阿弥陀様が私を喚ぶ声です。
 浄土真宗では南無阿弥陀仏をお称えし、お称えしたそのままをきくことを大切にします。お念仏を私たちにお伝えくださった先輩方は南無阿弥陀仏と口に称え、阿弥陀様の声、願いをきくお聴聞のご縁を大切に過ごしてくださいました。
では、なぜ南無阿弥陀仏をきくことを大切にするのでしょうか。それは阿弥陀様が私のことをずっとずっと喚び続けてくださっているからです。「必ず救う、まかせよ」と私のことを喚び続けてくださっているその声が、南無阿弥陀仏と今すでに私に届いてくださっています。きくことが救いの条件ではありません。しかし、私が喚ばれているのです。ですから、私がきくのです。

 A君は遊びに夢中になると、周りの声や音がきこえないことがよくあります。
ある日、お母さんが夕食の準備を整えてA君のところにきました。「A君ご飯ですよ。片づけをして席に座ってね」ところが遊ぶことに夢中のA君にはお母さんの声が全くきこえていないようです。少しして、またお母さんがA君のところにきました。「A君ご飯よ。早く来なさい」さっきよりも大きな声でしたがやはりA君にはお母さんの声がきこえていません。ついにお母さんはA君の顔の真ん前で「ご飯よ」と声をかけました。するとやっとA君にお母さんの声がきこえました。「わ!びっくりした!そんなに大きな声で言わなくてもきこえているよ」お母さんはやれやれと思いながらもA君と一緒に席につきました。
これは幼いころの私と母の日常です。

 どうやら私たちは、私をよぶ声が私に届いていたとしても、私にはなかなかきこえていないようです。ではどうすれば私にきこえるのでしょうか。それは私が聴きに行くことです。聴きに行くと私に届いている声が聞こえてきます。
南無阿弥陀仏と阿弥陀様の声はもう届いています。あとは私が聴きに行き南無阿弥陀仏を聞くのです。お聴聞のご縁です。大切に、大切に。