浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

安武慶哉 本願寺派布教使 東筑組 妙法寺 

海外に少しの間いた頃、あるお寺の御門徒さん、Aさんに言われた一言です。

 

ある海外のお寺で、気さくな御門徒さんに出会いました。その方は、遠く日本からやってきた右も左も分からない私に、いろいろなことを教えてくださいました。

 

そんなAさんとお話ししている時、「先生は知ってる?お念仏、南無阿弥陀仏は世界共通語なんだよ」と仰ったのです。私はハッとしました。確かに浄土真宗の“Namo Amida Butsu”のお念仏は、世界のどこへ行っても同じように称えられています。

 

日本にいる間は全く意識しておりませんでしたが、海外で英語を使って生活する中で、私がよく耳にする聞き慣れた言葉はお念仏でした。お寺にお参りされる方は、ほぼ皆さん英語を話される方々でしたが、その口に称えておられたのは、日本と同じ“Namo Amida Butsu”のお念仏でした。

Aさんは、「お念仏を称えると思い出すのよ、大切な友人のことを。あの人と生まれ育った国も環境も、使い慣れた言語も違うけど、あの人と同じお念仏を称えることができること、同じお浄土に生まれることができること、そして同じ仏様に成らせていただくことができること、こんなに嬉しいことはないねえ」と教えてくださいました。

 

聞けば、先立って行かれた大切な日本人のお友達がおられたそうです。その方は英語を流暢に使う方で、Aさんとすぐに仲良くなられ、その方の勧めで、Aさんはお寺に足を運ぶようになられました。

 

「私は日本語は分からないし、仏教の難しい話もよく分からない。でも、私の命も大切な友人の命も、お浄土に迎え入れ、仏に仕上げてみせると仰ってくださる阿弥陀如来という仏さまがおられるということは分かったのよ。これを聞いた時、友人とこれからもずっと一緒だなと思えて、すごく嬉しかったわ。」と教えてくださいました。

 

その言葉を聞いて、私はあらためて「お念仏は世界共通語なんだよ」というAさんの言葉を味わいました。

 

国籍も、文化も、母語も違う私たちが、同じ阿弥陀さまのお救いに出遇い、同じお念仏を申す。その私たちは、やがて同じお浄土に生まれ、仏となる身に定められている。先立って行かれた友人も、今ここでお念仏を申す私も、何も違わない、同じ阿弥陀さまに願われた一人のいのちなのだと、Aさんは阿弥陀さまのお救いを喜ばれたのだと思います。

 

あの日、Aさんから仰っていただいた「お念仏は世界共通語なんだよ」という言葉。それは、ただ世界のどこでも同じように「南無阿弥陀仏」のお念仏を称えることができるという意味だけではありません。どこに生まれどのように生き、どんな言葉を話していても、阿弥陀さまのこの私を必ず救うという確かな願いは、今ここに南無阿弥陀仏のお念仏となって確かに至り届いてくださる。その阿弥陀さまの南無阿弥陀仏のお救いに出遇わせていただいた者として、私もまた、これからもお念仏を申す人生を歩ませていただきたいと思います。