「煩情を遮せず」(2026年10月)
篠田准照 本願寺派布教使 東筑組 西徳寺
今から3年前のお盆のことです。この年のお盆は先立った祖母の初盆でもありました。
「お参りにきたよー‼」
元気のいい声とともにガラガラっと玄関を開け、入ってこられたのは祖母が若かりし頃から大の仲良しだった坊守さんです。見ると両手にはケースのビールが。その2ケースのビールを抱えて、坊守さんはお内仏へ。そしてお内仏の脇にそれらをドスンと置いて、重誓偈のお勤めを始められました。私もその後ろで一緒にお勤めをしていたのですが、ふとお供えされたビールの方に目をやると、ケースの側面に半紙一枚ほどの紙が貼られてあり、こんなことが書かれていました。
「お酒を飲んだその後は、私の分を残してネ。お浄土に到着した時の乾杯用ヨ。」
聞けば、祖母とこの坊守さんはよくお酒を酌み交わした仲だったそうです。そのお酒の席で時に笑い、時に涙をし、祖母と励まし合いながら今日までこの坊守さんは坊守としてお寺を支えてこられたのでしょう。そしてこの度、祖母が先んじて阿弥陀さまのお浄土に生まれていきました。坊守さんご自身も、いずれ参らせていただくそのお浄土でまた祖母と会い、「またお酒でも酌み交わしながら、いろんなことを話そうね」とそういった想いからこのことばを添えられたのでしょう。お勤めが終わった後、にこやかにでも少し涙ぐみながら祖母との思い出を語ってくれたことを今でも憶えています。
ご開山親鸞様は阿弥陀さまのお浄土について、ご和讃の中で「願力成就の報土」つまり、お浄土とは阿弥陀さまの願いとはたらきによって出来上がったものだとされています。ですから、お浄土とは私たちの願いや望みをかなえるための場所ではありません。しかしながら、この坊守さんのように、お浄土で「あの人にもう一度会いたい」
「あの子をもう一度抱きしめてあげたい」
私たちはお浄土に対して、このような想いを抱えていることも事実です。そしてこうした想いから、この浄土真宗にご縁をいただかれた方も少なくないのではないでしょうか。親鸞様が敬われた七高僧のお一人、中国の道綽禅師が著された『安楽集』の中に
ただ浄土の一門のみありて、情(じょう)をもつて悕(ねが)ひて趣入(しゅにゅう)すべし。
ということばがあります。この阿弥陀さまのお浄土だけが、それらの情を抱えた凡夫がそのまま参らせていただくお浄土であると讃じておられます。阿弥陀さまのお浄土を情をもってしか見ることのできない私たちです。また、縁が整わなければなかなかこの世を離れてお浄土に参りたいとも思わない私たちです。ですがその私を「参らせずにはおかない」という願いが成就した世界、それが阿弥陀さまのお浄土であります。