真教寺早良組
- 納骨堂
- 駐車場
【東照山真教寺 沿革と歴史】
◆佐賀との県境にある。標高240メートルほどの山中にある。山々の緑と清流の音、ゆったりとした空気が流れ、季節の変化を味わう自然豊かな所です。
◆明応9年(1500)大和国より寺田正玄の開基による。境内60坪、堂宇37坪余り、門徒80戸(早良郡史より)真教寺創建当時は現在地より西南方向、徒歩一時間ほどの山中にあり、背振山系の山中で現在は国有林となっている。古老によると通称センスイと呼ばれる所で、境内地らしき広い平地があり、2段の池跡も。がけ崩れの時には茶碗や瓦のわれ等が出てきたという。現在地に移転した時代の記録はなく不詳。
◆現住職は1977年より13代となります。
◆現本堂の左余間に小さなお厨子に黒仏様を安置している。この地域の畑に埋められていたもので金箔が剝がれて黒仏様と呼ばれている。曲渕城があった頃の家老のお内仏のものだったとされていて拙寺に預かる。鑑定によると室町時代作。
◆旧本堂の向拝の象の彫刻を保存。象の片方の口には明治維新の時の江藤新平による佐賀の乱時で兵士が撃った鉄砲の鉛玉跡が今も残っています。峠越えの争いの時には本堂の畳を裏返して野戦病院にもなったと伝わっています。
【境内施設】
◇駐車場 10台
◇納骨堂有、真教寺門徒加入者のみ(墓地なし、合同墓なし)
【交通アクセス】
西鉄曲渕バス停徒歩10分・福岡都市高速野芥IC下車(佐賀方面)20分
◆佐賀との県境にある。標高240メートルほどの山中にある。山々の緑と清流の音、ゆったりとした空気が流れ、季節の変化を味わう自然豊かな所です。
◆明応9年(1500)大和国より寺田正玄の開基による。境内60坪、堂宇37坪余り、門徒80戸(早良郡史より)真教寺創建当時は現在地より西南方向、徒歩一時間ほどの山中にあり、背振山系の山中で現在は国有林となっている。古老によると通称センスイと呼ばれる所で、境内地らしき広い平地があり、2段の池跡も。がけ崩れの時には茶碗や瓦のわれ等が出てきたという。現在地に移転した時代の記録はなく不詳。
◆現住職は1977年より13代となります。
◆現本堂の左余間に小さなお厨子に黒仏様を安置している。この地域の畑に埋められていたもので金箔が剝がれて黒仏様と呼ばれている。曲渕城があった頃の家老のお内仏のものだったとされていて拙寺に預かる。鑑定によると室町時代作。
◆旧本堂の向拝の象の彫刻を保存。象の片方の口には明治維新の時の江藤新平による佐賀の乱時で兵士が撃った鉄砲の鉛玉跡が今も残っています。峠越えの争いの時には本堂の畳を裏返して野戦病院にもなったと伝わっています。
【境内施設】
◇駐車場 10台
◇納骨堂有、真教寺門徒加入者のみ(墓地なし、合同墓なし)
【交通アクセス】
西鉄曲渕バス停徒歩10分・福岡都市高速野芥IC下車(佐賀方面)20分
住所 |
〒811-1134 |
---|---|
アクセス情報 |
西鉄曲渕バス停徒歩10分・福岡都市高速野芥IC下車(佐賀方面)20分 |
TEL |
092-804-2971 |
FAX |
092-804-2950 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
無し |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
≪法要≫ |
住職から一言 |
開基当時は山深い山中の事、創建にしても教化にしても大変だったろうと思います。 |