西福寺御笠組
- 納骨堂
- 駐車場
岡県筑紫野市山家の西福寺です。
「山家」という地域は、江戸時代、長崎街道沿いの宿場町として栄えました。山家宿は九州の難所・冷水峠越えの宿場として、また、長崎街道、日田街道、薩摩街道が交差する追分宿として、福岡・博多や二日市、太宰府、秋月、甘木、天領日田、松崎(現在の小郡)・府中(現在の久留米)などと通じる交通の要衝でありました。
その山家に浄土真宗本願寺派(西本願寺)の西福寺があり、山号を桃渓山といいます。
西福寺は、1622(元和8)年久留米藩領三潴郡大隈村(現久留米市城島町あたり)に初代住職玄誓が開基・建立されました。1627(寛永4)年潤3月、西本願寺より木仏(木像本尊)と寺号を授与される。
しかし、「1647(正保4)年、久留米領(有馬藩)の政策により西本願寺末寺に対してすべて東本願寺末寺改派を命じた。改派しない寺院は追院を命じた。改派の命に従わなかった西福寺は国外に追院され山家村桃谷に寺基を移転し、山号を桃谷山と称した。
宝暦年間(1751~1763 年)山家宿が拡張し新町という所に家々が建ち始めた頃に、現在地に移転し山号を桃渓山と改めている。
西福寺の本堂は1828(文政11)年の台風により倒壊し、再建したものが現在の本堂であります。(約190年前)。境内に鐘楼があり、梵鐘は戦時中に供出されたが、現在の梵鐘は戦後に門徒より寄贈されたものである。また、本堂正面の南側には手押し井戸ポンプがあります。普段は電動井戸ポンプで水を汲み上げていますが、停電時は手押し井戸ポンプで水を汲み上げることにより「防災井戸」としての役割を担うことが出来ます。
「山家」という地域は、江戸時代、長崎街道沿いの宿場町として栄えました。山家宿は九州の難所・冷水峠越えの宿場として、また、長崎街道、日田街道、薩摩街道が交差する追分宿として、福岡・博多や二日市、太宰府、秋月、甘木、天領日田、松崎(現在の小郡)・府中(現在の久留米)などと通じる交通の要衝でありました。
その山家に浄土真宗本願寺派(西本願寺)の西福寺があり、山号を桃渓山といいます。
西福寺は、1622(元和8)年久留米藩領三潴郡大隈村(現久留米市城島町あたり)に初代住職玄誓が開基・建立されました。1627(寛永4)年潤3月、西本願寺より木仏(木像本尊)と寺号を授与される。
しかし、「1647(正保4)年、久留米領(有馬藩)の政策により西本願寺末寺に対してすべて東本願寺末寺改派を命じた。改派しない寺院は追院を命じた。改派の命に従わなかった西福寺は国外に追院され山家村桃谷に寺基を移転し、山号を桃谷山と称した。
宝暦年間(1751~1763 年)山家宿が拡張し新町という所に家々が建ち始めた頃に、現在地に移転し山号を桃渓山と改めている。
西福寺の本堂は1828(文政11)年の台風により倒壊し、再建したものが現在の本堂であります。(約190年前)。境内に鐘楼があり、梵鐘は戦時中に供出されたが、現在の梵鐘は戦後に門徒より寄贈されたものである。また、本堂正面の南側には手押し井戸ポンプがあります。普段は電動井戸ポンプで水を汲み上げていますが、停電時は手押し井戸ポンプで水を汲み上げることにより「防災井戸」としての役割を担うことが出来ます。
住所 |
〒818-0003 |
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アクセス情報 |
JR筑前山家駅徒歩5分 |
TEL |
092-926-4482 |
FAX |
092-926-4482 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
無し |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
年間行事 |
住職から一言 |
長崎街道・薩摩街道・日田街道の歴史が交叉する山家。多くの旅人の姿を見届けた西福寺。これからも、お念仏の道場として「念仏の声を子や孫に」と人生の旅路をお念仏と共に歩んでまいりましょう。 |