恩光寺遠賀組
- 合同墓
- 納骨堂
- 墓地
- 駐車場
恩光寺縁起
恩光寺は、往昔、天台宗金幢山正覚寺と号し、大同・弘仁(806~824年)の頃の草創という。
中古、佛心宗(禅宗)に改め、七堂伽藍の悉く備わった寺であったそうですが、天正・文禄(1573~1596年)の頃に大友の兵の乱暴により、多くのものを焼失しました。其の時の僧を淳盛といいます。
慶長(1596~1615年)の初め、常陸国大畠、寿命寺の髙祖(親鸞)聖人法孫の順教師が弘法の為に九州に下り、たまたま正覚寺に投宿されました折に、淳盛はお念仏の御法義を聴聞し、ただちに順教師の弟子となり、浄土真宗に帰依し今の地に一宇を建立しました。この淳盛が浄土真宗恩光寺の開基住職であります。
更に淳盛は京都に上山し、本願寺御門主に改宗の所由を建白し、元和6(1621)年4月13日に金幢山「恩光寺」の寺号を許可されました。その後、現在に至ります。
また、申し添えておきますれば、当寺の御本尊の「阿弥陀如来」様は、3尺2寸の立像にて、仏師春日の作として伝わっております。
・駐車場(舗装済)が50台分以上ございます。
・納骨堂(バリアフリー)、墓地、合同墓の詳細はお問い合わせください。
恩光寺は、往昔、天台宗金幢山正覚寺と号し、大同・弘仁(806~824年)の頃の草創という。
中古、佛心宗(禅宗)に改め、七堂伽藍の悉く備わった寺であったそうですが、天正・文禄(1573~1596年)の頃に大友の兵の乱暴により、多くのものを焼失しました。其の時の僧を淳盛といいます。
慶長(1596~1615年)の初め、常陸国大畠、寿命寺の髙祖(親鸞)聖人法孫の順教師が弘法の為に九州に下り、たまたま正覚寺に投宿されました折に、淳盛はお念仏の御法義を聴聞し、ただちに順教師の弟子となり、浄土真宗に帰依し今の地に一宇を建立しました。この淳盛が浄土真宗恩光寺の開基住職であります。
更に淳盛は京都に上山し、本願寺御門主に改宗の所由を建白し、元和6(1621)年4月13日に金幢山「恩光寺」の寺号を許可されました。その後、現在に至ります。
また、申し添えておきますれば、当寺の御本尊の「阿弥陀如来」様は、3尺2寸の立像にて、仏師春日の作として伝わっております。
・駐車場(舗装済)が50台分以上ございます。
・納骨堂(バリアフリー)、墓地、合同墓の詳細はお問い合わせください。
住所 |
〒809-0041 |
---|---|
アクセス情報 |
福北ゆたか線「東水巻駅」より徒歩10分 |
TEL |
093-245-1905 |
FAX |
093-245-1926 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
有り |
合同墓(合葬墓) |
有り |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
1月 元旦会 |
住職から一言 |
「おかげさま おたがいさま ありがとう」の気持ちを忘れないように人生を歩みたいものです。 |