妙樂寺遠賀組
- 合同墓
- 納骨堂
- 墓地
- 駐車場
豊かな自然に囲まれた妙楽寺は、東に北九州市、南に中間市と隣接する水巻町に
位置し、近くには有名な“堀川運河”があります。
山口から来た岡部磯衛門忠良という武士が開基です。天文5年(1536年)鯉口に草庵を結びましたが、その後羅漢祠(御輪地)のそばに成就院という庵を建て、天正7年本願寺の末寺となりました。ご本尊は阿弥陀仏立像です。
この場所から小六谷(現在地の吉田地区)に移ったのは、二世了伯の時、寛永10年(1633年)ですが、昔の小六谷は石ばかりであり、堀川の揚土を捨てたので寺地としては適当な土地になることができました。
また同年正月二日の夜、夢の中に本尊の阿弥陀如来が立ち、「本尊、了伯ニ告テ曰く、小六谷、即チ是我有縁ノ地ナリ。汝若シ我ヲ彼ノ地ニ安置セバ則チ佛力往持而て、邑里日ニ、栄エ民人永ク安ラン。汝必ズ遲慮スルコトナカレ」と、これは「ここ小六谷に移れば、民心安らかにして極楽浄土これにしくはなし」という意味を告げられました。故に寺号を夢想山妙楽寺としました。またこの寺の前の堀川工事は長政の死で放棄されたままになっていましたが、いつか水が溜まり人々は大膳堀といっていました。堀川が車返しに変更になり則松から吉田への内往還も近くあり、この寺の裏からその往還に出る小径があって、それを狐道といっていましたが、則松の門徒はこの道を通って参拝していたということです。
代々、村の子弟に読み書きを教えてきたといわれますが、特に十世宝灑の時には学寮を設けたともいいます。
開基より約400年、現在の住職は第十六世です。
位置し、近くには有名な“堀川運河”があります。
山口から来た岡部磯衛門忠良という武士が開基です。天文5年(1536年)鯉口に草庵を結びましたが、その後羅漢祠(御輪地)のそばに成就院という庵を建て、天正7年本願寺の末寺となりました。ご本尊は阿弥陀仏立像です。
この場所から小六谷(現在地の吉田地区)に移ったのは、二世了伯の時、寛永10年(1633年)ですが、昔の小六谷は石ばかりであり、堀川の揚土を捨てたので寺地としては適当な土地になることができました。
また同年正月二日の夜、夢の中に本尊の阿弥陀如来が立ち、「本尊、了伯ニ告テ曰く、小六谷、即チ是我有縁ノ地ナリ。汝若シ我ヲ彼ノ地ニ安置セバ則チ佛力往持而て、邑里日ニ、栄エ民人永ク安ラン。汝必ズ遲慮スルコトナカレ」と、これは「ここ小六谷に移れば、民心安らかにして極楽浄土これにしくはなし」という意味を告げられました。故に寺号を夢想山妙楽寺としました。またこの寺の前の堀川工事は長政の死で放棄されたままになっていましたが、いつか水が溜まり人々は大膳堀といっていました。堀川が車返しに変更になり則松から吉田への内往還も近くあり、この寺の裏からその往還に出る小径があって、それを狐道といっていましたが、則松の門徒はこの道を通って参拝していたということです。
代々、村の子弟に読み書きを教えてきたといわれますが、特に十世宝灑の時には学寮を設けたともいいます。
開基より約400年、現在の住職は第十六世です。
住所 |
〒807-0045 |
---|---|
アクセス情報 |
JR折尾駅車5分 |
TEL |
093-201-0300 |
FAX |
093-201-0307 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
有り |
合同墓(合葬墓) |
有り |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
1月修正会、ご命日法座(ご正当) |
住職から一言 |
南無阿弥陀仏の広大無辺なご本願のご法義をお聴聞させていただくことが何より大切です。ご一緒にお寺の本堂にてお聴聞し、お念仏の日々を過ごしましょう。 |
WEBサイト |